2013年12月28日土曜日

第二外国語を学ぶ ― 韓国語の楽しみ

日本人は英語を学ぶことばかりに躍起になっているようですが、そろそろ「英語だけ話せます」という段階ではなくて、三カ国語以上が話せることを目指す時代になっても良いのではないかと思います。

たしかに英語は世界中でかなり通じます。だから第一に学ぶ言語としては実に適切です。世界中、どこの都市に行っても、一人や二人は英語を話す人を見つけることができるでしょう。

しかし、それだけではその国々の表面をなぞったことにしかなりません。その国をもっと深く知るためには、その国の言葉を知らなければならないでしょう。国際人(笑)を目指すのならば、単に英語ができるというだけではなく、色々な国の文化や言語などに接することも必要条件ではないでしょうか。

その中でも、韓国語は日本人にとって最も学ぶ価値のある言語の一つです。その理由は:
  1. 日本人にとって最も学ぶのが易しい言語である
  2. ハングルは興味深い文字である
  3. 日本文化、日本語、日本の歴史などについて、より深い理解をできるようになる
  4. 隣国なので使う機会が多い
  5. 韓国の飲食店などはだいたい韓国語のみの表記なので、役に立つことが多い
  6. 基本的に日本人にたいして親切に接してくれる

日本人にとって英語を学ぶことは極めて難しいことです。私のようにちんたら向上させていたら、流暢に使えるようになるのに20年以上かかります。死ぬ気で集中して勉強しても、かなりの時間と労力がかかるでしょう。

それにたいして、韓国語を学ぶのには1/5くらいの労力しかかかりません。(英語話者にとっての言語間の距離に関する習得難易度の表から推計)

韓国語を学ぶのが容易な理由ですが、まず第一に韓国語の文法は日本語と極めて類似しています。韓国語は日本語と類似した文法を持つ世界でも珍しい言語です。

さらに韓国語には中国語や日本語から移入された語彙を多く持つので、日本語と語彙が似通っています。「高速道路」は「こそくどろ」になるなど、ほぼ同一の語彙で同一の発音を持つ物も少なくありません。

私は、現在は中国語とタイ語を学んでいますが、この二つなら中国語の方が圧倒的に容易だなー、と思います。漢字を見れば意味を推測することができるし、いちど発音を学んでしまえば、日本語や漢字と結びつけて憶えることができますので。

しかし中国語は、発音が難しいので、韓国語に比べると習得が困難です。韓国語の発音は日本語よりは複雑ですが、いちどコツを身につけてしまえば、すぐに問題なく通じるようになるでしょう。さらにハングルは、ほぼ表記通りに発音する、分かりやすい文字なので、新しい語彙を身につけるのも容易です。

第二外国語などといってドイツ語やフランス語を少しだけ学ぶのは極めて愚かなことです。なぜなら少し学んだくらいでそれらの言語を身につけることは不可能だからです。それにたいして韓国語であれば、少しの努力で多少なりとも話せるようになります。


韓国語を学ぶと、必然的にハングルを学ぶことになりますが、この文字は興味深い性質を持った文字です。

最初にソウルで韓国語学校に通い始めたときに「ハングルは韓国が誇る偉大な文字だ!」みたいなビデオを見せられて、そのお国自慢精神に辟易させられたのですが、実際に学んでみると、確かにかなり優れた性質を持っていることが良く分かります。

ハングルは1446年に李氏朝鮮の国王直属プロジェクトとして、学者によって人為的に作成された文字であり、世界の文字のなかでも学者が人為的に作った文字が使われている数少ない例でしょう。

ハングルは音韻学に基づいて作られており、またシンプルかつ明確に区別された記号により構成された文字は、容易に憶えたり読んだりすることができます。

例えば、ㅗ(お)とㅏ(あ)を組み合わせたㅘは(わ)となりますし、ㄱ(k)、ㄲ(kk)、ㅋ(kh)などの似たような音は同じような記号で作られています。

これにたいして、自然に作られた文字というのは、得てして「ツ」と「シ」などのように判別が難しい文字を含んでいるものですし、規則性もないので憶えるのも読むのも困難です。また文字と発音が1対1で対応していない場合も良くあります。

私は現在、タイ文字を読むのに大変苦労しています。ハングルが数週間の学習で完璧に憶えられたのに比べ、タイには数ヶ月滞在してもタイ文字を完璧に憶えるには至っていません・・・

数百年前の東アジアの学者達というのも、なかなか合理的な思考と優れた能力を持っていたということを教えてくれます。


韓国語を学ぶことの面白さの一つは、日本についてよりよく知ることができるということです。例えば、タイ語を学んでも、それほど日本について深く知るということにはつながらないでしょう。

しかし韓国語や中国語は、日本の歴史や文化を密接に結びついていますので、韓国語を学ぶことは日本の文化を学ぶことにもつながります。

私は、韓国語を学ぶことがなければ、日本語の漢語の発音に呉音、漢音、唐宋音という三種類があるなどということを知る機会もなかったでしょう。

日本の数字が中国から伝わってきたものであることも、より良く分かります。なんと数字はタイでまで同じ数字を使っているのです。日本語でも中国語でも韓国語でもタイ語でも3は「さん」です。韓国語でもタイ語でも20はイーシップです。これは中国の古い発音が残っているものと考えられています。ちなみに広東語ではイーサップですね。

余談ですが、広東語というのはタイ語とわりと近いのかなあ、と思います。香港人の友人がタイ語を話しているのを聞くと、どう聞いても広東語にしか聞こえないのですが、ちゃんと通じていますし・・・

日本の語彙が、いかに中国や朝鮮の影響を強く受けているか。そして、逆に日本の植民地支配が韓国の現代語彙や文化にどれほど強い影響を与えているか。そんなことを通じて、日本やアジアの歴史に思いをはせることができます。


隣国の言語なので、使う機会が多いというのは自明ですね。韓国には日本の地方都市よりも安い運賃で行くことができるくらいですから。

韓国の飲食店はだいたい英語メニューなどといった気の利いたものはなく、何を頼むにも韓国語が必須となる店が多いです。私がソウルに住んでいたのは10年前なので、いまは少し事情が違うかもしれませんが。韓国は交通の便が良く、徒歩で色んな飲食店を訪れることができるので、ハングルが読めれば、かなりの飲食店に行くことができます。

私が韓国語を学ぶきっかけとなったのは、11年前に一人で旅行したときに人々が大変友好的でノリが良かったことでした。

その翌年、ソウルに3ヶ月住むことになったのですが、10年前のソウルには日本人や外国人はそれほど多くなく、日本人というだけでどこにいっても大歓迎されたものです。当時はまだ日本というと一種の憧れをもたれていたように思います。韓流ブーム以降のソウルは日本人だらけですから、そういうことは無いかもしれませんが。

日本人が海外をゆっくり旅行していると、同じような旅行者の韓国人と友達になる機会が多いようです。韓国人と日本人はなんだかんだ言っても気質や文化が非常によく似ているので、欧米人よりもずっと取っつきやすいというのがあるでしょう。

2013年12月16日月曜日

Softether VPNを使って中国でインターネットを使う

【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)

さて中国に数日滞在してきたのですが、いつも中国で困るのはネットにアクセスできないということです。

日本人が日頃よく使うようなfacebook, twitter, google, gmailなどは金盾と呼ばれる国家ネット規制システムでブロックされており、全くアクセスできません。これでは友人と連絡もできないし、調べ物もできないし、仕事の連絡もできないし、大変困ってしまいます。

そこで今回はSoftether VPNを使って、VPN(仮想専用線)で日本のサーバー経由でインターネットにアクセスしてみることにしました。

VPNにはPPTPなど他のプロトコルもありますが、Softether VPNは高速で、かつSSLプロトコルを使うのでVPNを使っていることが判明しにくく、そのためブロックされにくいという利点があります。

以前は中国からPPTPで日本のデータセンターに接続を試みたことがありましたが、かろうじてつながるものの、速度が遅くて使い物になりませんでした。

Softether VPNは、他にも信頼できないネットワーク(公共のWiFiなど)からアクセスするときなど、幅広く使えますので、設定しておいて損はない製品です。Windowsに予め入っているPPTPと異なり、ソフトのインストールが必要になるのが難点ですが。

中国はネット利用者の情報を収集していると思われますので、セキュリティ上もVPNを使うことが望ましいでしょう。


結論から言うと、Softether VPNを使えば、2013年12月現在では中国でもある程度の自由なインターネット通信が可能です。facebookにもtwitterにも接続できます。なぜかGoogle社の運営するサイトはVPN経由だとアクセスが遅いように感じました。なぜでしょう。

但し、数日間なんども利用しているうちに徐々に速度が遅くなるようにも感じましたので、動的に通信制限などが行われている恐れもあります。ずっと同じサーバーを使い続けることはできないかもしれません。


Softether VPNの利用には、常時接続状態にあるサーバーまたはパソコンが一台必要です。可能な限り、固定IPアドレスを持つ物が良いでしょう。なぜなら信頼できないネットワークでは、DNSによって名前解決ができるかどうか、そもそも怪しいからです。

簡単な方法としては、ホスティングサーバーなどを一時的に借りてセッティングする方法があるでしょう。

インターネット上には他人が設置している自由に利用できるVPNサーバーなどもありますが、そういうものを利用すると全ての情報を盗み見られたり、不正ソフトを仕込まれたりする可能性がありますので、決して他人が設置したVPNサーバーは利用しないでください!

Softether VPNの設定には、GUIからリモートで行うことができる優れた仕組みを採用されていますので、ネットワークに詳しい人ならば誰でも設定が可能です。但し、ネットワークの基礎知識が無い人は、手引きなどがないと設定は困難でしょう。

パスワードなどをきちんと設定して、他人に勝手に使われないよう注意しつつ、設定を行って、まずは日本にいるうちに正しく通信ができるか確認してください。

「サーバー証明書を必ず検証する」という設定は必ずオンにして、サーバー証明書の仕組みを利用して下さい。さもなくば、中間者攻撃という方法によって通信が乗っ取られる危険性が多分にあります。中国政府くらいの能力を持つ組織であれば、それくらい簡単なことでしょう。


これで中国でも数日間なら何とかネット通信が可能になります。

私は中国語を習っていますので、中国に住めれば良いと思いますが、このようなネット規制の行われている国に住むのは難しいですね。正直言って、よく外国人がこんな国に住むよなあ、と思います。このような規制を続けたまま、中国が発展することは可能なのでしょうか?

中国という隣国が、強権的な政府を持っていることを残念に思います。早くもっと民主化してくれれば良いのですけれど。でも、もし中国が自由な民主主義社会になったら、中国はさらに発展して、日本やアジアはすぐにそのパワーに取り込まれてしまうでしょうね。

このような独裁強権国家である中国で検閲に協力してビジネスをするような外国企業は恥ずべきですし、そのような企業の行いを日本国民は許すべきではありません。Googleが中国政府の検閲を拒否して、中国市場から撤退したことは、まさに全世界の企業が手本として見習うべき行動です。

中国政府の検閲に協力することは、独裁国家の人権弾圧に協力することです。北朝鮮やシリアに武器を売ったりすることと大差ありません。将来的にはそのような人々は、国際刑事法廷で裁かれて投獄されることになる日が来ることを祈ります。

【注意】たぶん中国で個人がVPNを使ってアクセスするのは犯罪です。(よくしらないけど)

【免責事項】この記事に従った結果、公安に踏み込まれて銃殺刑になっても私は責任を負いかねますので、ご自分の判断でリスクを取って実行して下さい。

2013年11月26日火曜日

なぜ日本でカジノ解禁なのか? 政治経済的に必要な配慮を考える

日本では最近、カジノを解禁しようという動きが盛り上がっています。

私は自由主義者であるので、ことさらに他人が賭博するのを咎め立てしようとは思いませんが、現在のカジノ解禁に向けた議論には多くの穴があると考えられます。

まず広く認識されていることとして、賭博は社会にとってはマイナスの働き(負の外部性)を持っていると考えられます。賭博は、困窮者を増やしたり、それによって犯罪や福祉費を増やしたりすることで社会に負の影響を与えます。要するに他人を困らせて利益を得ているということです。

また賭博はしばしば暴力団の資金源になったり、汚職官僚や汚職政治家や政治後援者の資金源となり、社会に腐敗をはびこらせます。新設されるカジノがどのような運営形式を取るとしても、警察の天下り先を増やすことは間違いないでしょう。

とくに現在、新聞などで報じられているように、特定の企業などに特区を作らせてカジノを運営させる方式だと、そうした企業に大きな利権を認めることになり、腐敗の原因となります。もっと広い層が参入できて利益を得られるようにすべきではないでしょうか?

賭博は先に述べたように社会悪ですので、賭博の胴元が得る利益の多くは税金などの形で社会に還元させるようにせねばなりませんが、そうした議論が不足しています。

もし賭博事業者が大きな利益を得るようになれば、その利益を使って新規出店やマーケティングを繰り返し、賭博利用者が増えすぎて、困窮する人も、悪事で儲ける人も増えすぎることでしょう。

そうしたことを考えると賭博事業者が胴元となって賭博ユーザーの負け分を利益として青天井に儲けることを許すべきではありません。

あくまで時間あたり少額の場代(遊戯料)を利益として取れるのみにするべきです。プレイヤーがそれ以上負けた分は税金として公の取り分にするか、他のプレイヤーの取り分にするべきです。

遊戯料を取るだけの事業を広く許すことにすれば、既存の賭け麻雀のような文化も合法化することができますし、腐敗官僚や政商の取り分も少なくすることができます。自由主義の観点から言っても良い手段です。

また既存のパチンコのような社会問題にしても、彼らも少額の遊戯料のみを得られるような規制を適用すれば、公平な観点から社会悪を規制することができます。

これは現在のように腐敗警察官僚によって運営される脱法行為である三店方式よりもずっと公正で透明な制度です。

場代を取るだけの賭博のようなことは株式や外貨取引を利用すればいくらでも合法的に行うことができるので、それに比べて社会悪を大きく増やすわけではありません。


さて、とりわけ「カジノを解禁して海外旅行者を誘致しよう」みたいな議論には、いくつもの大きな陥穽があることに注意すべきです。

カジノで本当に海外旅行者を誘致するだけなら、日本居住者は遊べないような制度にすべきです。そうすれば社会悪の影響を減らして、海外旅行者を誘致することができます。「海外旅行者を誘致する」といったお題目で日本人も入れるカジノを建設するような甘言に騙されてはなりません。

カジノで海外旅行者を誘致するなどといっても、日本の近くだけでもマカオ、韓国、フィリピン、シンガポール、カンボジアなど数多くの国にカジノがあります。このような状況下で、カジノを作っただけで本当に海外旅行客が誘致できるのでしょうか?

「カジノを作って海外旅行客を誘致」という砂上の楼閣のようなプランに、政治家がのせられて貴重な政治能力を浪費するべきではありません。

ましてや、そのような甘言を弄して日本人を危険な賭博に誘い込み多額の金を巻き上げようとする政商どもに甘い蜜を吸わせるべきではありません。

政治家がやるべき仕事はもっと他に重大なものがたくさんあるのではないでしょうか?

2013年11月23日土曜日

反ワクチン運動という極めて悪質なデマの流布と戦おう

いま世界的にワクチン反対の運動というものが盛んになっています。

ワクチンは危険であるとか、効果が無いとか、とにかくワクチンが有害無益であると主張して、ワクチンの接種を拒否するようにそそのかしたり、ワクチン自体の開発や普及に反対したり、悪質なデマを流布する人々が増えています。

もちろんワクチンにも副作用はありますし、過去には危険性の高いワクチンなどが使用されていたこともありました。今後もワクチンの副作用などで問題が起きることはあるでしょう。

たしかに日本の厚生労働省は極めて怠惰で悪質な官僚集団であることは間違いありません。彼らは古い危険なワクチンを平然と使い続けたり、有用な新しいワクチンの普及をためらったりする、日本の官僚の中でも最悪の既得権集団です。彼らを擁護できる理由は何一つありません。

しかしワクチンにはそうした問題を考慮したとしても、それを大幅に上回る有益性があることは間違いの無い真実です。


ワクチンの有用性は、歴史的にも科学的にも完全に実証されています。

ワクチンが天然痘を撲滅したことはどんな教科書にも載っています。ポリオもいままさに根絶に向けた最後の一押しが進んでいます。10年後、20年後にはポリオも根絶された病気となることを期待します。

新しいワクチンの採用に関しては各国で厳密なテストが行われ、副作用などが最小で済むように、そして有用性がリスクを必ず上回るように厳格に管理されています。

ワクチンは100%安全でもありませんし、100%有益なものでもありません。しかし正しく使えば、接種を受けた人にとって極めて有益であり、人類社会にとって病気と闘うための最強の武器でもあるのです。

もちろんワクチンには一定の問題や危険性もあります。

しかしワクチンを否定する論には、極めて多くのデマが含まれており、さらにはワクチンを一律に有害無益として、接種を拒否するように煽動するなど、悪質な論者が多いのが問題です。

ワクチンを拒否する人は、自分の子供を危険な感染症の被害にさらすだけではなく、社会全体に感染症を流行させて、周りの人々をも危険にさらしているのです。

世の中には免疫不全症患者や卵アレルギーの人など、ワクチンを接種することができない人もいます。そうした人であっても、もし社会全体で多くの割合の人がワクチンを接種していれば、そうした弱い立場の人々も病気から守られるのです。これを集団免疫(herd immunity)と呼びます。

ワクチンを否定する悪質なデマは、健康食品やスピリチュアルなどの愛好者から世界的に広まっており、狂信者といっても良いほど強く信じ込む人々を増やしています。そして、いままさに日本にどんどん上陸してきている状況です。

こうしたデマによる子供や弱者への健康被害を、われわれはなんとしても防がなければなりません。


個々のワクチンを誰がどのように接種すべきかについては、医学的な議論の余地があります。

ワクチンの有益性の評価や、安全で効果の強いワクチンを安定して供給することには、技術的な難しさや、コスト面での課題も多く、まだまだ改善の余地のある分野です。そうした点について議論をすることは大変有益です。

こうした議論はワクチンを一律に否定する悪質なデマとは全く別の物です。しかし、ときとして悪質なデマが、正しい議論とまぜこぜにされて表現されているので注意が必要です。

たとえばインフルエンザワクチンは幼児には絶大な効果を発揮し、幼児の健康リスクを大幅に低減させることが確実に実証されています。しかし高齢者においては、インフルエンザワクチンの効果はそれほど確実に実証されているわけではありません。

最近開発されたコレラワクチンは、まだ効果や有用性があまり実証されておらず、WHOなどもあまり強く推奨していない状況です。新しいワクチンの有用性が実証されるには、時間がかかるでしょう。

2012年8月まで長い間利用されていた生ポリオワクチンは、ごくまれにポリオを発症させるという極めて危険な副作用を持っていました。そして日本では野生型ポリオウイルスに感染するリスクは極めて低いというか、ほぼゼロに近い状態でした。それにも関わらず、アメリカでは1987年に認可された安全な不活化ワクチンに早期に切り替えなかった厚生労働省は未必の故意による薬害犯罪者であることは間違いありません。

それに対して、HPV(ヒトパピローマウイルス)のワクチンの有益性は極めて高いものであり、こうしたワクチンの普及を渋っている厚生労働省は、ここでもまた多くの病気の犠牲者を生み出している不作為による殺人者と言っても良いでしょう。

また麻疹や風疹などのワクチンについても有益性は極めて高いと考えられていますが、日本では長い間、おたふく風邪ワクチンによる三種混合ワクチンの副作用の問題が発生して接種が中断していました。これももっと早期に解決することができたと考えられますが、そうしなかったのは厚生労働省の怠惰です。

しかし、こうした科学的で有益な議論と、反ワクチン運動の悪質なデマは、厳しく峻別されるべきであります。


私は、必ずしも反科学主義や反知性主義を片っ端から攻撃することが科学の普及のために役立つとは思っていません。それどころか、あまりに攻撃的な姿勢は科学の普及を妨げると思っています。

しかしながら反医学主義や反薬剤主義のような主張で利益を得ている人々や、イカサマ健康食品などは、多くの患者を苦しめている詐欺師・偽医療家集団であり、もっと強い規制が行われるべきであると思います。

そのなかでも、反ワクチン主義は、自分で自分を守ることができない弱い子供を犠牲にし、社会全体に病気を蔓延させ、ワクチンという最も有益な道具の普及を妨げる、デマのなかでも最も悪質なデマの一つと言っても過言ではないでしょう。

人種差別発言などと同じく、最も憎むべきデマであり、社会から徹底的に排除されるべき煽動行為です。

そして反ワクチン活動で利益を得る"自然療法家"や健康食品メーカーなどの人々は、危険かつ有害な偽医療家として投獄されるのが当然と言えるでしょう。

私は、反ワクチン運動を強く憎みます。なんとしてもこの愚かな運動が大いなる悲劇を引き起こすことを食い止めなければなりません。

2013年11月21日木曜日

なぜ起業チームにはプログラマーが必要なのか

IT産業は起業にもっとも向いた産業とよく言われます。

当初の資本金はあまり必要でなく、無難なビジネスモデルを構築すれば、早期にお金が入ってきますし、とてもうまく行けば人数などを増やすことなく加速度的に売上を増やしていくことができます。

しかしITビジネスを作り上げるためには、創業メンバーにプログラマーがいなければうまく行きません。

ITビジネスにおいて、ソフトウェアシステムとビジネスは密接に結びついているため、ビジネスとシステムのすりあわせをできるプログラマが創業メンバーにいなければいけないのです。

単なる外注や、一従業員のように受け身の立場でシステムを構築する人は、システムの仕様がきっちり決まっていればちゃんとした仕事をしてくれるでしょう。

しかし、システムの仕様を決めるのは、ソフトウェアの高度専門家でなければできない仕事です。

かといって通常の会社に外注して仕様を決めてもらおうとしても、ビジネスに対するオーナーシップを持っていませんから、システムの必要性からビジネス自体を変更したりすることができず、中途半端な仕事に終わってしまいます。

システムの仕様決定には、ビジネスのオーナーシップを持つ創業者レベルの人が携わるのが望ましいのです。

またシステム作成と仕様作成は一貫して同時並行して行うことが望ましいのです。なぜならシステムを作っている途中で、新たに設計上、ビジネスを変更したりする必要が明らかになるからです。

しかし外注する場合は、予め仕様を決めて発注しなければ、予算が確定しませんので、契約を結ぶのが難しくなります。

予め仕様を決めて発注してしまえば、予算は確定しますが、こんどはできあがったものが思うようにビジネスに適合するとは限らなくなります。


そういうことから、可能な限り、プログラマを創業メンバーとして迎え入れて、給料ではなく志に共感してくれて、株式をシェアすることで一緒にやってくれる人を探すことをおすすめします。(なかなかそういう人はでてこないとは思いますが)

もちろん「給料がなければ嫌だ」という人でも仲間にいれて良いと思いますが、とにかく企画レベルから参加してもらい、プロジェクトのオーナーの一人として扱うことが大切です。

単なるシステム開発会社に外注してシステムを作ってもらうというやり方では、IT起業が成功する確率は大幅に下がることでしょう。

プログラマではない人が、優秀なプログラマを探したり、優秀なプログラマを見分けることはなかなか難しいので、そこは悩みどころですね。

とはいえ、きちんと責任をもってチームメンバーとしてプログラムを書いてくれる人であれば、平凡な能力なプログラマーだとしても、外注先の優秀なプログラマーよりもマシであると僕は思います。

私自身は現在プログラミングの仕事はお受けしておりませんが、ITビジネスの企画・戦略・仕様策定のお手伝いなどのお仕事や、優秀なプログラマを抱える会社の紹介などしておりますので、 arai@mellowtone.co.jp までお気軽にお問い合わせください。

あと最近ではソニックガーデン永和システムマネジメントのように、プロジェクトのオーナーシップを持って共同開発という形でシステムを作ってくれる会社もあるようなので、プログラマがどうしても見つからなければ、そうした会社に依頼するのも一つの手かもしれません。

ではでは。

2013年11月9日土曜日

関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている

日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。

これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。

なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。

関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。

目に見えない、厄介な税金です。


経済学的には関税は極めて厄介な存在です。

例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。

関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。

やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。


関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。

しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。

日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。

関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。

たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。

また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。

さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。


関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。

農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。

関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。


関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。

関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。

関税の廃止のために声を上げましょう。

2013年10月17日木曜日

人生に必要な知恵はすべて「コンサルタントの秘密」で学んだ ― ボールディングの逆行原理を知って人生の手痛い失敗を減らす

僕の人生にもっとも影響を与えた本を挙げろと言われれば、迷うことなく「コンサルタントの秘密」を挙げます。

これを読んでいなければ、僕はもう死んでいるかもしれない。それくらい僕にとって重要な本です。

この本は、ITコンサルタントであるワインバーグが、自身のコンサルティング経験から学んだ教訓を、寓話調に述べた本です。

コンサルタントのための教訓というよりは、人生のための教訓とでも言うべき内容です。IT業界では、この本を読んでいなければモグリというほど有名ですが、ぜひ別業界の人も読むべきでしょう。

すごく癖がある文章で、まわりくどい寓話調の記述から、真意を読み解くのは簡単なことではありません。2度3度読んでみて、ようやく意味がわかったり、実際に本書に挙げられてるようなトラブルで痛い目を見てから、ようやく重要性がわかったりする、そんな本です。

この本には多数の教訓と多数の寓話が出てきて、全体を貫くテーマはあやふやです。そのため、この本を人に紹介するときは、どのように紹介すればよいのか、いつも悩みますし、いまも悩みながら書いています。

人生には、知らなければ痛い目を見る知識というのが色々あります。卑近な例でいえば、「繁華街で客引きについていってはいけない」とか「うまい儲け話は転がっているはずがない」とか、そういう教訓は山ほどあります。

有名なところでは「能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な一般社員も無能な中間管理職になる」というピーターの法則などがあるでしょう。

この本は、そういう教訓や法則のなかでも抽象的で知的なものを集めた本と言うこともできます。


そのなかでも私が最も感銘を受けて、いつも心の片隅に置いているのは「ボールディングの逆行原理」の章です。

「ものごとがそうなっているのは、そうなったからだ」という言葉は、すなわち今のような状態になっているには、それ相応の理由があるということです。

その状態がどれだけひどい、どうしようもない状態であるとしても、それはなるべくしてそうなったということです。

ひどい状況を見たときに、あなたは「こんなものは僕ならずっとうまくやれるのに!」と思うかもしれませんが、しかし、それは自惚れであり、もしあなたが責任者になったとすれば、手痛い失敗を犯して、大恥をかくことでしょう。

ひどい状況を引き起こすには、政治的理由、人間関係、顧客、予算、納期、技術的難易度、その他のわけがわからない呪いのような理由がいくらでも考えられます。

ひどい状況を見たときに、あなたが考えるべきことは以下の通りです。

  1. ひどい状況があるということは、ひどい状況を作り出す原因が近くにあるということであり、まずは全力で退路を確保しなければならない。
  2. ひどい状況は、前任者がアホだから作り出されたのではなく、有能な前任者が全力を尽くして善意でやった結果でも、そこまでしかできなかったと考えるべきである。
  3. いまある姿(as is)は、どんなにひどく見えるとしても、少なくとも局所最適にあるからそういう形になっているということを理解せねばならない。局所最適から一歩脱すれば、さらなる地獄のような悲惨さが待ち受けているかもしれない。
  4. 何も考えずに「私ならもっと良い仕事ができる」と言って、足を踏み込めば、確実に前任者と同じ轍を踏むことを理解すること。
  5. もし、それでもひどい状況を変えようとするのならば、「なぜそうなったのか?」を慎重に見極めて、「なにをやってはいけないのか」を見定めて、うぬぼれずに慎重に一歩ずつ改善を行うこと。
このことを知ってから、僕は「いまある姿」ということに対して畏敬の念を持つようになりました。「いまある姿」というのは、だいたいの場合はそうなるべくしてなっているのであり、簡単に変えたり、改善できたりするようなものではないのです。それを忘れれば、「いまある姿」は、あなたに対して強烈な一撃を加えるでしょう。

私は、数年ほど前に、自分のうぬぼれと迂闊さのせいで、泥沼のプロジェクトに足を突っ込み、自殺まで考えるというところまで追い詰められました。

それ以来「ボールディングの逆行原理」は常に私の心とともにあります。

2013年10月15日火曜日

いまごろになって原発問題をまとめるよ

わたしは現在のところ、原発反対派でも賛成派でもないですし、議論が過熱している間は、議論に参加する気もありませんでした。

そろそろ議論も収まってきたようですが、単に皆が飽きてしまっただけで、議論の質が高まらないまま関心が薄れたなぁ、と危惧しています。こないだCourseraでA Look at Nuclear Science and Technologyという授業を受講したりしたこともあり、ちょっと論点を整理してみようかと思いました。

まず原発の議論のうち、主要な論点は以下のようなものになると思います。

  1. 原発は地球温暖化対策としては現在、最も有力である。
  2. 福島原発事故は、日本社会や地域社会に対して、深刻な経済的・精神的な打撃を与えたし、同じようなことが二度と起こってはならないのは間違いない。
  3. 既存の原発は、多かれ少なかれ福島第一と同じようなリスクを持っているであろうし、それがどれくらい対処可能なのかどうかよくわからない。
  4. 既存の原発は、多額の建設費をかけて作られたものであり、それを廃炉にすれば、日本社会は何らかの形でその膨大な費用(償却損・それを一時的に代替する低効率の火力の燃料費・廃炉費用・温暖化対策費用など)を負担することになる。
  5. 使用済み燃料の最終処分や、廃炉費用がどれくらいになるのか、いまいちよくわかっていない。
一つ目の点ですが、原発は温暖化対策として現時点では最も有力であることは間違いないと思います。どこにでも建設することができ、膨大なエネルギーを生み出すことができます。太陽光発電、風力発電、地熱発電などは、まだそれだけの発電能力を持っていないと思います。

将来的には太陽光発電や地熱発電はかなり有望だと思われますが、まだいつごろ物になるのかよくわかっていません。今から新エネルギーの実証実験や研究開発への力強い投資を行っていくことは望ましいと思いますが、それを実用の発電手段とするのは時期尚早のように思います。

またそうした新エネルギーが物にならなかったときのリスクを考えれば、原発技術の研究開発や実証実験が止まることがあってはなりません。地球温暖化による災禍は、科学者たちの発言が正しいのならば、原発事故よりも大きなものになることでしょうから。

二つ目の点ですが、福島原発事故では幸いにして放射線障害により多数の人が死ぬようなことはありませんでしたが、避難による間接的な健康被害や、経済的被害、精神的被害などを考えれば、損失は膨大であり、決して二度とこのようなことが起こってはならないのは明白です。今になって、あの日の衝撃を忘れて、事故を矮小化するような態度は決して正当化されるものではないでしょう。

3点目ですが、既存の原発は多かれ少なかれ、福島第一事故のようなリスクを持っていることは確実でしょう。それがどれくらい対策が可能なのか、十分なリスク低減が行えるのか、私には良く分かりません。電源喪失はある程度の対応が可能としても、冷却剤喪失など他にもリスクはあるように思います。

これに関しては、多方面の科学者などが様々な立場から検証に当たるべきであろうと思います。とくに旧式の炉に関しては、厳しく安全性が検証されるべきでしょう。

これから新設する原発であれば、安全基準を高めて、リスクを数桁減らすようなことは可能と思いますが、そのような原発が経済的に見合うものなのかどうかの疑問があります。

4点目ですが、既存の原子炉を停止したり、廃炉したりすれば、その原子炉の持っている生産能力は無駄になることになり、膨大なコストが生じます。そのコストを一次的に誰が負担するとしても、最終的には国民全員にツケが回ります。

そのツケが回る額がどれくらいになるのか、それを踏まえた上でなければ、原発再開または廃止に向けた議論は空論となるのではないでしょうか。

最後に5点目ですが、原発のコストを新エネルギーなどと比較する上で、原発の放射性廃棄物や廃炉の最終コストがどれくらいになるのか良く分かってないのは、大きな問題であると思います。

早期に最終処分場を完成させ、試しに旧式炉を一つ二つ廃炉にしてみるべきでしょう。そのデータがなければ、議論が成立しませんから。


原子力科学の授業を受けて思いましたが、原発は非常に複雑なシステムですし、社会的にみてもその安全性や経済性の議論もなかなか複雑であるように思います。

しかし基本的な論点はこの5つに絞られるのではないでしょうか。こうした論点を踏まえた上で、建設的な議論ができれば良いですね。

2013年10月3日木曜日

オープンブックによるエンパワーメントと、管理会計としてのアメーバ経営

(本稿はアメーバ経営について基礎知識がある人を対象にしています。アメーバ経営は京セラが発明した経営システムです。基礎知識のない方は、京セラの創業者である稲盛和夫氏が書いたアメーバ経営 (日経ビジネス人文庫)を読むと良いでしょう)

アメーバ経営の本を読み終えて思ったが、アメーバ経営には二つの側面がある。

一つには、オープンブック(従業員への会計データの公開)によるエンパワーメント(権限委譲)という側面である。

もう一つには、管理会計の一つの合理的な手法という側面である。


アメーバ会計が管理会計の一つの手法であることは自明であり、論を待たない。

管理会計の書籍などに記載されている既存の管理会計の手法は、合理的で緻密な手法とは言いにくいものが多いように思う。ざっくりした恣意的な数値しか得られず、管理会計は過去の遺物のようにも見える。IT化などが進展した現在では、もっと細かい数値が容易に得られるので、恣意的な金額の配賦には合理性がないように思う。

それに対して、アメーバ経営は数人の細かい経営グループごとに利益を算出し、社内の財やサービスのやりとりを売買交渉で配賦することにより、経済学的にみて正当な数値が求められるように工夫している。

小単位の利益データが日次で得られるという点で、一人一人の従業員が利益=経営品質を把握しながら経営することを容易にするようにしている。

きわめて合理的で分かりやすく優れた手法であるとおもう。

しかしながら、管理会計の手法としてみた場合、製造業・流通業などのように日々のオペレーションから利益が生み出される、オペレーション重視の企業には適用しやすいが、そうではない企業には必ずしも適用できないように思う。

研究開発が重要な企業や、もしくは純粋なサービス業のように、利益や売上などの経営データが日々の経営品質よりもだいぶ遅行して反映されるような企業では、アメーバ会計はそのままでは適用しにくいのではないか。

そうした企業では、管理会計とは別にプロセス自体の品質を管理する手法が必要であると同時に、ポートフォリオ理論のような投資・ファイナンスの手法によって経営管理を行っていくことが求められるのであろう。


もう一つのオープンブックによるエンパワーメントという側面であるが、私にはこちらこそがアメーバ経営の本質であるように思われた。

通常の被雇用者である労働者には、経営マインドが欠落している。

すなわち自分のやっている仕事が、どのように自社にたいして利益をもたらしているのか、それが理解できていない。どういう仕事をすれば利益があがるのか分かっていない。

これは労働者にとっては自分の仕事の価値や、やるべきことを見いだすことができず、ストレスフルな状況である。

それと同時に、企業としてみれば、労働者の行動が必ずしも利益につながるとは限らず、経営の成績を落とす原因となる。

とくに問題となるのは、何が会社にとって利益になるのかわからない労働者は、正しい価値観や評価尺度を持たないので、迷走して自分勝手な行動に走ったり、意味のない派閥やルールなどを作ったりすることであろう。

利益という共通の目的と尺度があれば、それに向かって全社が共同して働くことができるので、無益なセクショナリズムや官僚主義は自ずと減ることになろう。

また管理職の育成という観点から見れば、経営マインドの持たない管理職は極めて有害な存在であるが、そもそも経営の意味を分からないまま働いてきた従業員にいきなり経営マインドを持て、というのは無理な話である。

アメーバ経営では、個々のアメーバに利益などの経営数値を開示するとともに、アメーバごとに経営の裁量権を持たせて、アメーバ単位で自由な経営活動が行えるようにしている。

これはアメーバのメンバー一人一人が経営者としてのマインドをもって、利益につながる活動を裁量を持って行えるということであり、従業員をいっぱしの経営者に育てるという目標がある。

これこそがアメーバ経営の本質であると私は思う。

経営の数値もわからず、何をやれば会社の利益につながるのか、それが分からない状態で働けというのは酷な話であるし、無駄な話であると思う。

一人一人が経営者としての意識を持ち、業務に主体性をもって利益を向上させるという共通の目標を持って働けば、仕事はずっと楽しいものになり、能力向上の余地も増えるだろう。

そのためには会計データを全社で共有することは必須である。KPIなどという言葉が最近は流行だが、会計データこそ企業にとって最も大切なKPIの一つであることは論を待たない。

その会計データを分かりやすくするために、一人一人のメンバーが自分の業務に関わる経営成績を理解できるように、細かく細分化するための一つの手法がアメーバという会計方式なのである。


ここで信賞必罰の人事体系などを導入すべきと思う人もいるかもしれないが、アメーバ経営では、アメーバの成績と報酬などを連動させることはしない。

これは、あくまでも会社全体の利益を重視し、偶然にも左右される結果によって社員を評価しないという哲学でもある。また、アメーバが暴走し、会社を犠牲にして自分の利益を極大化させようとすることを防ぐためでもある。

アメリカ式の業績連動人事は、一見すると合理的なようにも見えるが、本当に業績主義が良いのであれば大企業などに勤めず、自分でベンチャー企業を立ち上げれば良いのである。あくまで組織内であれば、業績ではなく、プロセスで評価されるべきであろう。

アメーバ経営について詳しく学ぶには以下の書籍"アメーバ経営論―ミニ・プロフィットセンターのメカニズムと導入"をお勧めする。書店で探した中では、もっともアメーバ経営について具体的に書かれた本のように思われた。学術書であり研究手法などについての能書きが長いので、そこを飛ばして読めば読みやすい。

2013年8月1日木曜日

oDeskで本格的な開発プロジェクトをやってみたよ

oDeskをつかって本格的なソフトウェア開発プロジェクト(1人月)をやってみたので、そのご報告です。oDeskをつかってみようと思う方には、かなり参考になるのではないかと思います。

oDeskとは、世界中にいるフリーランサーやアウトソース企業にさまざまな仕事を頼むことができるアウトソースサイトです。他のサイトと比べた特徴としては、作業内容の記録ツールを使った時給払いに対応していることです。クレジットカードで支払いできて送金も楽ちんです。

今回なぜoDeskを使ってみたかというと、純粋に海外アウトソーシングに興味があった点が一つ、もうひとつは少しでも開発コストを減らせないかという考えがありました。

開発コストの観点から言うと、oDeskで雇える人のうち、しっかりした実績があるような人の時給は$25くらいに設定されているので、人月40万円くらいの計算になります。

日本でもジュニアプログラマなら人月40~60万円くらいで雇うこともできるのではないかと思いますし、相当優秀なシニアプログラマでも人月80~120万円くらいなことを考えると、コスト削減効果としては、ちょっと微妙です。クラウドワークスを見れば、時給2500円くらいで働いてくれそうな人がごろごろいますし・・・

そういうわけなので、今回oDeskでの発注に踏み切ったのは、海外アウトソースの実情を知りたいという好奇心の点が大きいかもしれません。


使ってみて最初に思ったことは、プロジェクトマネジメントがしんどいということです。

英文でやりとりしたり、英文仕様書を書いたりする手間を考えると、プロジェクトマネージャーである私の作業時間が取られてしまいます。

そしてお互い外国に住んでいるわけなので、もしトラブルになったとしても訴訟などを通じて解決することは現実的ではなく、すべてを慎重に交渉して進めていく必要があります。また赤の他人に依頼するとなると、やりとりにもかなり気を遣います。

通常の開発案件であれば、国内の安いフリーランサーを見つけて、そういう人に頼むほうが楽なのかなー、と思いますね。そういう人が、うまく見つかればですけど。

もともと英語で開発してるとか、全世界向けに開発してるような会社であれば、oDeskはお勧めですけども、日本語でやってる普通の会社にとっては言葉の壁が厚いです。


今回の案件に関して言うと、かなりうまくいったと思います。

まず依頼した時点で、時給が高くても、きちんとした返事を返してきたウクライナの業者を選定しました。oDeskでは、雇う対象をフリーランサーに絞るよりも、業者に任せた方が安心感があると思いました。

彼らは、25ドルの時給の中で、プログラマーだけでなく、英語が上手な連絡担当者も担当者としてつけてくれました。なにか問題や不明点があれば、すぐに聞いてきますし、きちんと着実に仕事を進めていきます。こっちからいちいち突っつかなくても、向こうから主導的に仕事をしてくれます。

結果的に、日本で外注したときの予想価格に比べて、半額くらいの値段で、きちんとした品質の製品を完成させることができました。

日本のシステム開発業者と比べても、かなりそつのない真面目な仕事をしていると思います。この値段で、この品質でやってくれる会社があるのだから、アメリカなど英語圏のプログラマーは大変だろうなあ、と思いますね。


僕はあまり自分の仕事能力に自信を持っていないのですが、英語で一つプロジェクトを完遂させることができて、すこし自分の能力に自信が持てた気がします。

2013年7月13日土曜日

学校を解体せよ ― 日本の学校は奴隷生産工場だ ― 教育の未来を想像する

CourseraのようなMOOCs (Massive Open Online Courses)と言われる無料オンライン授業が日本でも話題になりつつあります。先日の東京でのmeetupでは朝日新聞の記者の方が来て、記事にもなりました(僕も載ってますよ!)

私は、この数ヶ月でマクロ経済学のコースを修了しましたが、マクロ経済学のような抽象的でつかみどころのない学問は、独学だけでは学べず、授業を受けることが欠かせないなと思いました。私は、クルーグマンのマクロ経済学の本を読んでいるのですが、それだけでは深い内容は全く理解できていなかったと痛感しました。

私は学校教育が苦手で、ずっと独学で生きてきた人間ですが、書籍だけでなくビデオや宿題などから多面的に学べる講座というのは、独学よりもずっと有意義であるなー、と思いました。


しかしながら、このようにオンラインで学べる時代になると、もはや既存の学校という制度は必要ないことが明らかになってきたと言えます。

たしかに学校という大きな箱に子供を押し込めて教育する方法は、安価に幅広く教育を与えることができるという点で、人類の進歩に大きく貢献してきました。

いまや国民のほぼだれもが高校へ行く時代ですが、高校の教科内容というのは、改めて考えると、かなり高度な内容です。複素数、指数対数、微積分と言った内容を誰もが学ぶ時代などというのは、過去には想像もできなかったことでしょう。

しかし、もはや学校は過去の遺物です。

・学校教育の弊害

学校教育は、その弊害も明らかです。

まず「いじめ」という問題は、学校という狭い集団に人を縛り付けておけば、発生するのは必然と言えます。刑務所のように人を同じ狭い集団に縛り付けておくのは弊害があります。

優秀な教師を多く確保することは難しいですし、包括的に教育サービスを購入するという制度上、良い教師にインセンティブを与えることも困難です。

画一的なカリキュラムで集団に教えるため、人によって躓く点などが異なる点にも対応できません。

* 試験のために詰め込むプッシュ型教育から、実用のために必要な知識を学ぶプル型教育へ

いかに指数対数などが有用な概念であっても、一生それを実際に使うことがない人もいるでしょう。現在の教育課程というのは専門の研究者や技術者を育てるために有用な教育に偏重しているように思います。

また生徒が必要性を感じていないスキルを無理に詰め込むよりも、実際に必要性に駆られてから学ぶ方が、ずっと学びが大きく、知識として良く定着するのではないでしょうか。基礎的スキルを無理に詰め込むプッシュ型教育から、応用を意識したプル型のリーンな教育にすべきです。

すべての人をその画一的な基準で評価して、その点数によって良い教育が受けられたり、良い職に就けたりするというのが、フェアでしょうか? そのような制度があることで、損なわれる貴重な社会的価値があるのではないでしょうか。

日本人は「役に立たない知識を試験のために学ぶ」ということに慣れすぎてしまい、実際にリアルに使うために学ぶための能力が著しく低いように思います。

スタバやアカデミーヒルズでは勉強している人が多くいますが、ほぼすべての人が何らかの試験の勉強をしています。英語を学ぶ人はTOEICを、医学を学ぶ人は医師や看護師の国家試験を、会計を学ぶ人は税理士試験や簿記の試験の勉強をしています。

このような勉強法をやっていると、スキルを実際に使うために学習する能力が落ちてしまうことを憂慮します。試験で良い点を取ることと、スキルを実用することには、大きな違いがありますから。

* 奴隷を大量生産する日本の教育

なにより21世紀の日本での問題として、教師と生徒という権威主義的な絶対服従の人間関係の中で、ルールにがんじがらめにされて教育を受けることで、想像力や発明力のみならず、自主性や責任感や向上心を失った、奴隷のような魂の無い人間を生み出してしまうという問題があります。

自主性や発明力やリーダーシップが要求される知識社会において、日本の教育が隷従人間を大量に生み出していることは、日本の繁栄を大きく損なう事態です。

・学校の解体 ― 学校を自由化せよ!

教育制度改革などのアイデアをいろいろと投げかける人が大勢いますが、僕から言わせれば日本の学校教育というのは腐りきった奴隷生産工場であり、完全に解体するしかないです。小手先の変革など無駄です。

(他国の教育がどうなのかはよく知りませんので、他国と比較して日本が悪いと言っているわけではないです。絶対値として悪いということです。)

とにかく基本的には、学校にバウチャー制度と自由な市場競争を導入し、好きなときに好きな場所で好きな授業を受けられるようにすべきでしょう。

同じ学校に数年間行くことが前提ではなく、気に入らなければいつでも違う学校に行けるし、それどころか教科ごとに違う学校に行っても良いという世界です。

オンラインで完結しても良いことにすれば、僻地や病気の子供でも優れた教育が受けられるようになります。

それによって教育格差が拡大するのではないか、という声もあるかもしれませんが、現状では私立学校や塾などに行ける人が有利になっています。全体に市場競争を導入すれば、オンライン教育や反転授業などを利用することで、良質で安価な教育が提供可能です。

いまは定員や授業料などの問題で、優れた教育を受けられる人は限られていますが、CourseraなどのMOOCsが証明しているように、オンライン教育であれば、同じ授業を何十万人でも受けることができます。MITの超人気教授の授業を、モンゴルの高校生が無料で受けられるなんて時代を誰が想像したでしょうか。

本来は高卒などの認定をするカリキュラムや試験にも科目選択の柔軟性を認めるとよいのでしょうが、あまり他国の制度と違いがあると留学などに不利になるので、そこは制度設計の難しいところです。しかし自由化すれば、任意の科目などは増やせるので、いまよりはだいぶ自由になりますね。

オンラインで好きなときに授業が受けられる世界が到来すれば、ギャップイヤーなどの問題も自然解決します。中学や高校を出たら、まず働きに出て、それから足りないスキルを学ぶなどのプル型な学びも実現するでしょう。

英語教育なども当然すぐに問題解決ですね。英語圏をベースに集中的なオンライン教育する優れた教育ベンチャーなどが現れれば、英語教育の質など、すぐにでも十倍、百倍になるでしょう。

自由化さえすれば、教育問題は80%解決したも同然です。

なぜ世界でも教育の自由化に踏み切っている国が無いのか、不思議で仕方ありません・・・

2013年7月3日水曜日

これからの未来を予測する

何らかの理由により、本ブログの閲覧回数が激減したので、今後は方針を変更して書きたいものをざっくりと深く考えずに書いていくことにしようかと思います。Google Readerも停止してしまい、ブログというメディアには、もう未来はないのかもしれませんね・・・・

僕は過去の人が考えた未来予測というのを読むのが好きです。そして、これから技術がどんどん進歩して世の中がよりよくなることを考えるのも好きです。そこで、未来の人に「昔の人はこんなことを思っていたんだね」と思わせるために未来予測を書いてみようかと思います。

このまま科学が同じペースで発展すれば、50年後、100年後にはすごいことになっているでしょう。しかし科学の進歩は鈍化するかもしれません。事実、そのペースはすでに鈍化しているようにも見えます。長生きして、どうなるものかを見届けたいものですね。

医学

・ガン治療

医学においては、ガンの克服というのは光明が見えつつあるようです。まだ固形癌を完全に治すような薬はありませんが、これから50年のうちには分子標的治療薬が何百と開発され、そのいくつかを組み合わせることで、ガンが完全に治るようになっていくことが期待できます。

これまで固形ガンを安全に高率で治癒できる薬というのは存在しないので、まだまだハードルは高いのですが、多数の優秀な研究者に多額の研究費をかければ早期に実現可能な目標と言えます。

問題は、治療薬の開発および生産のコストはかなりの金額になると考えられ、既存の健康保険などの枠組みではカバーしきれなくなるかもしれません。iPS細胞による前臨床試験などの創薬における変革と、細菌細胞による抗体医薬の生産など生産面での変革が必要です。

・HIV/AIDSの制圧

HIV/AIDSの制圧ということに関して言えば、人類はほぼそれに必要な武器を手にしています。1日1回1錠の服用で治療予防が行えるようになっていますので、あとはそうした新薬が特許切れになり世界の人々が安価に服用できるようになれば、流行が徐々に収束していくことが期待できます。

残念ながらHIVワクチンに関してはまだ光明は全く見えませんが、50年以内には何とかなっていることを期待します。いまのところワクチンよりも割礼(男性の包皮の切除)のほうが安価かつ効果的にHIVを予防できると考えられているようです。

・不老不死

私たちが生きている間に人類が不老不死になることは考えにくいでしょう。しかし、もし今のペースで科学の進歩が進めば200年~500年以内には不老不死になっていても全くおかしくないと思います。現在の研究は不老不死がいかに難しいかということしか示していませんので、どのようにそれが達成されるのか全く予想できませんが・・・

・動脈硬化

先進国における死亡要因の大きな割合は、動脈硬化ですので、動脈硬化をうまく防ぐ薬ができれば、平均寿命は大きく伸びることが期待されます。いまは血圧を下げたり、血中脂質を下げたりすることで対処していますが、これが動脈硬化の度合いが直接測定できたり、直接改善できたりするようになると、さらに寿命が延びるのではないでしょうか。

・非侵襲的な情報の入出力

医療などの領域で一つの大きな壁となっているのは、人間の身体に穴を開けないで、詳細な情報を得たり、外部から何らかの操作をしたりすることが難しいということです。コンピュータと人間を直結したくても、脳に穴を開けて電極を突っ込むのは感染などのリスクが高く、重病の人以外には困難です。新しい理論的ブレークスルーがあり、人間との非侵襲性I/Oが発達することを望みます。現在の物理学の知識でより高分解能な情報を非侵襲的に入出力することは可能なんでしょうか?

超音速旅客機

超音速旅客機には、いくつかのハードルがあります。超音速飛行に伴う衝撃波の問題、超音速向けのエンジンや翼が低速飛行時に性能が低い問題、超音速飛行時には揚抗比が悪く燃費が悪いという問題などがあります。マッハ2.5を超えるような高速飛行では、それにさらに熱の問題が加わります。

自家用機などの10~50人乗り程度の小型機で言えば、開発資金さえ投じれば十分に実用的なものが得られる段階ではないかと思います。衝撃波や離着陸の騒音は小型機では軽減されますし、大富豪や大企業トップにとって高額な燃費は無視できます。ビジネスとしてはリスクが大きく、よほど豪腕の事業家が自己資金を投じるなどしないと実現は難しいのではないかと思います。Eron Muskに対抗したい人は挑戦してみては? - 参考プロジェクト

数学

数学は難しくなりすぎて、そのうち人間の脳味噌で考えられる限界を超えるのではないかと心配しています。数学の進歩が止まってしまったら、物理学や計算機科学や他の科学の進歩にも影響します。

社会科学

経済学、政治学、心理学などの社会科学の進展というものが、うまくいけば最も素晴らしい可能性を人類に与えると考えます。しかし、いまのところは社会科学の進歩というのは遅々として進まない状況ですね。また議会の形や議論のやり方や組織の作り方が大きく変わるかどうか、それは科学の問題ではないかもしれませんね。

エネルギーと環境問題

エネルギーと環境問題に関して言えば、政治的に可能であれば原発と再生可能エネルギーに移っていくのではないかと思います。科学者たちは、二酸化炭素の排出がすごくマズいので、原発の方がずっとマシだと思っているようです。いずれにせよ厄介な廃棄物がでるのならば、二酸化炭素という気体よりも、核廃棄物という固体のほうが圧倒的にマシだということです。

新しい世代の原発は安全性や効率の面で優れているようですが、建設コストが高いのがネックのようです。原発は、まだかなりの発展の余地があるかと思われますが、技術的にもコスト的にも政治的にもハードルが高くて、どこまで進むかわかりませんね。

太陽発電はまだまだ技術的に発展の余地があると思われます。将来的には効率やコストが大きく改善されて発電の主力の一つになる可能性が高いですね。

火力発電については、かなり高い効率を実現しているので、これ以上に効率を高めていくのは現在の理論では難しそうです。あと大きな進歩があるとすれば、せいぜい石炭ガス化火力発電くらいでしょうか。コージェネレーションがうまくいけば、そのあたりでの効率改善は可能かもしれませんが。

最も発展の余地が大きいのは省エネルギー技術と蓄電技術だと思われます。50年後には、よくあんなに無駄な製品をいっぱい使っていたね、という話になっているのではないでしょうか。

宇宙開発

宇宙進出に関して言うと、政治的にどこまでコストを許容するかという話で決まってくるかと思います。技術的にもハードルがありますが、そもそも宇宙に進出しても金銭的なメリットがないですから、各国がどれくらい威信にかけて月面基地開発や有人火星着陸などするかという話になるでしょう。

火星に住むというようなことは数百年以内に達成できるとは思いにくいですし、そこから先になってくると現在の物理学の範疇では難しいのではないかと思います。よほど画期的なブレークスルーがないかぎり人間は太陽系を脱出することはできない気がします。

ソフトウェアとIT

ソフトウェア分野で言うと、自動運転自動車と自動翻訳というのが次の二つの大きなブレークスルーになるのではないかと思います。

自動運転自動車が普及すれば、交通事故は大幅に減り、たぶん環境問題にも貢献するでしょう。世界を一変させる発明です。まだまだ実際の導入には遠いと思いますが、うまくいけば本当にすごいですね。

自動翻訳はすでに韓日間などでは十分実用になるレベルになっています。しかし英日間が実用レベルになるまでには、相当な隔たりがあります。また、実現するとしても、Googleのように膨大な知識ベースを保有している企業が圧倒的に有利になるのではないでしょうか。

まとめ

全体的に言うと、研究者を大量に必要としており、研究者が多ければ進歩が期待できるのは、バイオや化学の分野ではないかと思います。とにかく研究者の頭数を揃えて、物量作戦でしらみつぶしに実験を続けるしかないですから。ITもアメリカのように研究の中心を持つ国では活躍の余地はあるでしょうが、日本にはまともな研究機関がないので難しいですね。

このように、近い未来においても、人類はかなりの進歩が期待できます。そうした進歩を見ていくことが楽しみでしかたありません。なるべく長生きできるようにがんばります!

2013年4月8日月曜日

レッツノートCF-SX2を買って大成功

以前に「レッツノートCF-J10で大失敗」という記事を書いたところ、単に感情に任せて書いたろくでもない記事にも関わらず本ブログで一番読まれている記事となっております・・・

数ヶ月前に懲りずにまたレッツノートを買いまして、今度は大変気に入っておりますので、そのレポートです。 (ちなみに失敗したやつはヤフオクで売り飛ばしました)

今回買ったのはレッツノートCF-SX2のプレミアムモデル(CF-SX2MEKBP)で、仕様は以下の通り。

  • 中央処理装置: Core i7 3520M(Ivy Bridge) 2.9GHz/2コア
  • 長期記憶装置: SSD 512GB
  • 短期記憶装置: DDR3 SDRAM 16GB
  • 画面: 12.1インチ液晶 (1600x900ピクセル)
  • 重量: 1.37kg (大型バッテリーパック装着時)
  • 電池容量: 公称18時間  (大型バッテリーパック装着時)
これまで愛用していたRシリーズと比べると、大きく重くなっていますので、取り回しが不便ではないかと思い、買うのを悩んでいましたが、結論としては買って良かったです。

これまでに使っていたCF-R9と比べて良い点は以下のようなものです。
  1. とにかく電池の持続時間が長い。イーモバイルなどのUSBモデムを使っていても軽々6時間以上持ちます。ACアダプタを持ち歩く必要がほぼ無くなりました。重くても、その分、電池が持つから良いかなーという感じです。
  2. 性能が高い。高スペックのため、Google Chromeでタブを開きまくって、Netbeansを動かして、その横でゲームをしても問題なく動きます。3Dゲームもさくさく動きます。
  3. カメラとマイクがついているのでビデオ会議がいつでも簡単にできます。市販のウェブカメラやマイクは安っぽくてすぐ壊れるので内蔵なのは大きなメリットです。
  4. 内蔵スピーカーの音質も改善され、旅行や出張にいくのに小型スピーカーを持ち歩く必要がなくなった。
  5. CF-R9は無線LANの感度が悪く、ほとんど使い物にならないレベルでしたが、今回はまともになっています。
  6. Windows 8になり、BitlockerやBitlocker to goやWindows Defenderが使えるのでセキュリティの点で安心感がでてきました。
難点としては、以下のようなものが挙げられます。
  1. マイレッツ倶楽部で購入する高価なモデルは、店頭販売の安価なモデルと異なり、持ち込みサポートが受けられない。
  2. 値段が高い。プロが使う道具に高いお金を払うのは当然とも思いますが、さすがに30万円超となると、もし海外で盗難などに遭ったらと思うと、治安の悪い場所に持ち出すのは勇気が要ります。昔はラップトップにも損害保険をかけることができましたが、いまは断られるそうです。
  3. 私が買ったときはシルバーのモデルがなくて黒しかなかった。黒はカフェなどで使うには、ちょっと違和感があります。
  4. でかい。飛行機の機内などで使うにはちょっと不便です。小さいサブバッグには入らないし。逆に重さはそんなに気にならないですね。

2013年4月5日金曜日

顧客獲得単価と顧客生涯価値

新規事業で、値段設定やマーケティング計画をしていくときに一番大事なことは、顧客獲得単価(Customer Acquisition Cost)と顧客生涯価値(Lifetime Value)を試算することです。

要するに、顧客一人を獲得するのにいくらコストがかかって、その顧客からいくら売上(粗利)があがるのか、ということです。

ビジネスモデルを考える上で、ここを一つの中心として考えると、儲かるかどうかのキモをつかみやすいのではないかと思います。

ビジネスプランでは、将来の売上高などを予測することは不要です。そんなものは分かりっこないのですから。しかし、顧客獲得単価と顧客生涯価値の差は、そこそこ早期に理解することができます。プロトタイプなどを販売すれば実際の値に近い数値が見えてくるかもしれません。

当たり前ですが、顧客あたりの粗利が顧客獲得単価よりも低ければ、まったくビジネスとして成り立ちません。逆に、広告を打てば、顧客がどんどんやってくるのであれば、かなり良いビジネスになる可能性があります。


法人向けビジネスでは、顧客獲得単価が高くなるので、価格も高く設定して、顧客あたりの売上が高くなるようにしなければなりません。法人には「安いからとりあえず買う」という発想はあまりないのです。

法人向けビジネス、とくに日本市場では、フリーミアムのモデルは基本的には役立たないのではないかと思います。法人では、意思決定や、価格そのもの以外の導入コストが高いので、無料にしたからといって、さくっと使えるというわけではないからです。

それよりは無料お試し期間を設ければ良いのではないかと思います。(必要なら柔軟に伸ばしてあげれば良い)

メイシーは月額1980円ですが、顧客獲得にかかるマーケティングコストを考えると、ぎりぎりのラインだったなー、と思います。これより低い値段を設定していたら、広告販売することができずにぽしゃっていたでしょうね。


消費者向けのビジネスですと、単価がぐぐっと下がってくるので、このラインをうまく設定するのは至難の業になってくるかと思います。ゲームのように、分析を繰り返しながら、いろいろな製品や施策を多数繰り広げて、その中から良い物を探していくという長期戦・大規模戦になってくるのではないでしょうか。


広告を掲載して儲けるビジネスになると、さらに大変です。通常では、一回のページビューあたりの広告売上単価は最大でも0.2円以下になると思います。月に1000万ページビューあっても、せいぜい200万円の売上です。これはなかなか大変です。Adsenseを貼っただけだと、下手すると0.01円/PVとかにもなりかねませんし・・・

アフィリエイトなどの成果報酬広告をうまく載せて、うまくSEOするなど、いろいろやり方はあるでしょうが、良質なウェブサイトを作って、それで広告で儲けるというのは難しそうです...。

コスト面から見て広告で顧客を獲得するのが難しいので、そうすると必然的に煽るような記事を書いて、注目を集めて、ユーザーを増やすみたいな手法に頼りがちになるわけです。


この数値を考えてビジネスモデルを考えないと「どんなに大成功しても全く儲からない事業」になってしまうので、くれぐれもご注意を。

有名なマーケターの神田昌典さんなどは、顧客あたりの売上が10万円いかない製品は厳しい、と断言しています。それは極論かもしれませんが、法人向けならそれくらいのラインを目指したほうがいいですね。

2013年3月30日土曜日

リーダーシップと起業

僕にとって「起業して一番よかったこと」は、リーダーシップが身についたことです。

リーダーシップとは、他人に命令したり指示を出したりすることではなく、何事にも主体性を持って、能動的に働きかける考え方を持つということです。

日本人というのは、とかく何か不満があっても行動に移さず、他人のせいにするという考え方が染みついているものです。政府が悪い、会社が悪い、上司が悪い、部下が悪い、しまいには買ってくれない顧客が悪いとまで・・・

起業家・経営者にとって、世の中は「コントロールできること」と「コントロールできないこと」の二種類です。

コントロールできることは、すべて自分の責任です。それをどのようにコントロールして成果を出すかが求められます。

コントロールできないことを見れば、どうやればコントロールできるようになるか、他に代替案がないかを考えますし、どうやってもコントロールできないことであれば黙って諦めます。

結果として、世の中に対して愚痴を言うことはなくなり、不満があれば能動的に行動して解決するという方向性になります。

「世の中なんて一個人の力では変えられるわけがないんですよ」みたいなことを言う人もいますけど、そんなもんでもないですよ。僕がはじめたWinny事件支援活動では、最高裁で無罪を勝ち取ることができました。ネット医薬品販売訴訟や、一票の格差訴訟なども世の中を動かしています。

この、困ったことがあれば自力で解決する、という姿勢は人生をハッピーにしてくれますので、起業で得たもののなかで一番良いものですね。

人間にとって最もストレスとなることの一つは、無力感にさいなまれることです。それが解消されるだけで、人生はかなりマシなものになるのではないでしょうか。

また、何事もコントロールしたり、「もし自分がコントロールできるとしたらどうするだろう?」と考えることで、考える力や、問題解決する力がどんどんついてきます。

これはとても良いことでした。

逆に、他人のせいにする癖が抜けない人は、起業すると大変悲惨なことになりますので、起業しないほうがいいでしょう。真顔で「部下が動かないから困る」とか「顧客が理解がないから買ってくれない」とかいうことを言う社長がいますので・・・


この本は実はリーダーシップについての本です。人事・教育担当者や若者におすすめ。

2013年3月27日水曜日

なぜAmazon Web Servicesを使うべきなのか


弊社では、ぼちぼちとAmazon Web Services (AWS)を試用してきておりますが、色々使ってきてみて思うのは、AWSは素晴らしいシステムであり、特別な用途を除けば原則としてこれからのシステムはAWSで構築するのが良いのかなと思いますね。

AWSが優れている理由は、とにかく運用やソフトウェア開発を楽にする機能が豊富に揃っており、運用までをフルサポートしてくれる垂直統合環境であり、APIやソフトウェア、ドキュメントの品質や使いやすさが極めて優れていることです。そのため、システム開発運用のコストが大幅に下がり、システム運用の品質を上げることができます。


まずAmazon EC2 (仮想マシンホスティング)から説明すると、一つにはAmazon LinuxというEC2専用のLinuxがあることは大きなメリットです。

Amazon EC2のインスタンスに最適化されていますので、簡単に安定利用できるだけでなく、OSアップデートもyum updateするだけで安心して行うことができます。そのため、サーバーが陳腐化してシステム移行が必要になることがありません。これにより、システム移行工数(数人日~数人月)が削減できるのは大変なメリットです。より大きいサーバーに変えることも一瞬でできます。

EC2の有用性はEBSという外部ストレージのサービスを使うと、さらに強化されます。インスタンスのスナップショットによるフルバックアップを1クリックで取ることができますし、スナップショットをひな形にして新しいサーバーを立ち上げることも簡単にできます。(自動で定期的にフルバックアップを取得する機能がないのは不可解ですが....)

Amazon Route53は、DNSのホスティングというニッチな領域ですが、非常に便利なサービスです。AWSの持つ信頼性や、グローバルな拠点を活かして、世界中の顧客に高速なDNS解決を提供できます。もう、わざわざ脆弱性だらけのBINDなどをDNS権威サーバとして使う必要はゼロでしょう。

Amazon S3は、システム開発を圧倒的に簡単にするという点で大きな価値があります。これまでは一つのサーバーの容量を超える多数のファイルを格納するためには、極めて高額なストレージ製品を使うか、独自で分散ファイルシステムを構築しなければ行けませんでした。それがS3では、圧倒的に簡単に運用を行うことができます。

Amazon S3とGlacierを利用すれば、ログやバックアップなども簡単かつ安価に保存していくことができます。

DynamoDBのような分散データベース環境は、素人が運用するのは極めて困難ですので、それが管理まで任せられるというのも大きなメリットだと思います。ただし現時点では、1クリックでバックアップを取るような機能がついていませんので、その点では運用性がまだいまいちかなと思います。

Amazon Cloudfrontは、コンテンツ配信システム(CDN)であり、ファイルや画像などを世界中に高速配信することができます。弊社では、一部サービスで海外からの表示を高速にするために使っています。Akamaiのような高額なCDNに比べて、無料みたいな値段で使えるので、ちょーおすすめです。


AWSを使う上で気をつけるべき点としては、EC2は他社レンタルサーバーより割高なことと、メール送信に許可が必要なので非常に面倒くさいことですね。

まずEC2から外部へメールを送るためには、基本的に許可を得ないと送れません。その時点でかなり面倒です。さらに不着率が高かったりすると許可を剥奪されます。

Amazon SES(バルクメール送信サービス)を使ってメールを送信すると30%程度の不着率で数千件メールを送っただけで、許可を剥奪されてしまい、英文で釈明するはめになりましたので、非常に使いにくいかなあという印象です。

メールサーバーは別のサーバーを利用するなり、他社のサービスを利用するなりしたほうが良いかもしれませんね。このあたり改善を期待したいところです・・・

ほかにAWSが不向きなシステムとしては、大量の計算資源を継続的に使い続けるものですね。やはりその場合は、自前で構築する方がずっと安くなります。但し、大企業や官公庁が大手システムインテグレーターに依頼して構築・運用するよりはAWSの方が安いと思いますが。

例えば、動画配信など、継続して大量のストレージや回線を使う場合があるでしょうか。またHPC(スーパーコンピューター)なども継続してずーっと使い続ける場合も同様ですね。この場合は、色々とハードウェアやデータセンターの調達を工夫することで、自社調達すれば、AWSよりもコストを下げることができると思います。

弊社でも動画のストレージは自社で運用してますが、S3よりもストレージコストは大幅に割安です。そのあたりは工夫次第かと思います。

うまくAWSを使いこなしていくことが今後のシステムでは基本となることは間違いないと思います。AWSは他社に比べると機能や技術力で圧倒的に上をいっていますので、しばらくはAWSの圧倒的優位は揺らがないでしょう。

クラウド以外ですと、市販ソフトウェアやオープンソースソフトウェアで、AWSと同じような機能を謳う物はいろいろありますが、あまり信用しないほうが良いかと思います。実際はうまく動かなかったり、操作性や運用性が著しく悪かったりと、品質問題が多発しますので。

2013年3月24日日曜日

マーケティングは創業者の仕事である

経営の世界には「商品三分に売り七分」という言葉があります。製品開発よりも販売手法のほうがずっと重要だということです。

物があれば売れるという時代ではありませんので、ほぼすべてのビジネスにはマーケティングが非常に重要になります。(本稿ではマーケティングは顧客に商品を伝えるための方法すべてをさします。営業、広告、PR、SEO、ウェブサイト構築など)

企業はとにかくマーケティングを最優先に考えるべきです。

じゃあマーケティングを外注したり、担当者を雇えばいいのかというと、そうではなく、基本的には創業者がマーケティングに注力することが必要です。

当たり前ですが、どんなベンチャー企業でも、創業者よりも高いモチベーションと能力を持った人は雇うことができません。

そして中小企業の新規事業のマーケティングができる人など日本には数えるほどもいないでしょう。マーケティングの個別のスキル(PR、調査分析、従来媒体広告、ディスプレイ広告、キーワード広告)などに優れた人はいても、すべての領域にわたってすごいスピードで施策の実験を実施していける人というのは、あまりいないのではないでしょうか。

仮にそのような人が見つかったとしても、全社の経営戦略とマーケティングの整合性を確保するためには、創業者のマーケティングへの理解が不可欠となります。

商品のポジショニング、プライシング、セグメンテーション、ターゲティングや顧客開発プロセスなどは、単にマーケティング担当者のレベルでできることではなく、経営者レベルでの意思決定が欠かせません。

経営者・創業者がマーケティングを理解せずして会社を経営するというのは極めて無謀な行為であると考えます。

逆に、いかにマーケティングが大切であっても、中小企業にとって専任のマーケティング担当者を置くのはコストの面から正当化することは難しいかと思われます。少ない商品数と少ないマーケティング予算では、担当者はほとんどする仕事がなく、お手上げ状態になってしまうのではないでしょうか。顧客開発に成功し、資金調達して、大きなマーケティング予算を執行する段階になってから雇えばすむことです。

マーケティングとは企業の基本職務の一つであり、経営者は必ず基礎知識を理解しておく必要があります。ですから、創業時には、マーケティングは創業者が担当しましょう。

零細企業のやれるマーケティングなど、そんなに専門知識は必要ありませんから、ただただ超速でいろいろな打ち手を試すことが大事です。

もし自社製品を売っていくつもりなら、マーケティングに力を入れて、P&Gのようなマーケティングエクセレンスを目指しましょう。受託開発なら、まあ、マーケティングのことは忘れてもいいんじゃないですかね・・・

マーケティングなんて何一つ分からないという人はまず下の本をどうぞ。読みやすい本で、マーケティングの一分野である「ポジショニング」について概略が学べます。これを読むとマーケティングについて少し興味がわいてくるのではないかと思います。

(間違ってもコトラーを買わないように! あれは死ぬほど退屈で、まともに読めた代物ではありません)

2013年3月19日火曜日

【講演】自社サービスで成功する方法

先日の未踏カンファレンスで講演した内容のビデオとスライドをこちらにアップロードしておきます。参考になれば幸いです。

凡人が自社サービスで成功するための一つの方法について述べました。

ポイントとしては、
・顧客のニーズを探索しながら、現実を見て、事業を見直しながら発展させていく
・経営の経験値をあげながら、徐々に難しいことに挑戦していく
ということです。

twitterなどの反応を見ていると「新しい市場に挑戦してはいけないのか?」「斬新な製品や技術をベースに起業してはいけないのか?」という疑問の声がありました。答えとしては、2点あります。まず新しい市場への挑戦は難しいので、初心者(凡人)向きではないのです。また、新市場では、顧客のニーズが全く分からないので、その製品や技術をどのように顧客が必要とするか、顧客の声を真摯に聴きながら事業を進めなければいけないということです。

あと講演で触れるのを忘れたことで一つ大事なことがありました。それは「商品3分に売り7分」ということです。顧客と接して、顧客のために動く活動こそが企業にとって一番大事なことですから、創業者・社長が自ら顧客と接して営業活動をしていくことが必須です。そこを他人や他社に任せても絶対にうまくいきませんので!


2013年2月27日水曜日

未踏カンファレンス2013で「自社サービスで成功する方法」を講演します

3月10日に品川で行われる未踏カンファレンス2013で「自社サービスで成功する方法」という演題で講演を行います。

Googleの及川さんや、東工大の首藤さんなど、錚々たる顔ぶれが講演する予定なので、ぜひ東京の方はおいでになると面白いかと思います。

私は、いまのところ以下のような概要での発表を考えています。

未踏カンファレンス講演「自社サービスで成功する方法」
凡人が自社サービスで成功するために
天才は勝手にやってくれ
自社サービスはなぜ難しいか
人材サービス業(受託開発業)が特異的に参入障壁が低い
スケールしないので、技術や営業の個人プレーで成功可能
スケールしないので、大企業が完全圧勝パターンを作れない
スケールするビジネスは顧客を作ることはすごく難しい
大企業や先行企業の圧勝パターンになる。弱者は全滅も
このあたりの事情はランチェスター戦略に詳しい。
基本的には零細企業には受託開発業などが合っている。
だが、一度きりの人生、下請けで終わっていいのか?
自己紹介
xcream - 年商○○円以上
メイシー - 通期黒字かつ成長軌道
誰とやるかは重要
営業販売を第一に考えて顧客視点で動く
顧客発見プロセス・リーンスタートアップ
プランの段階で他人に聞いて、実際に買うかどうか調べる
市場がない / 市場が飽和している = 独自性 / 独自性がない
市場がない、お金にならない、のは最悪
市場が飽和気味でも本当に進出の余地がないとは限らない
独自性は上級者向き
既存商品が満たしていない細かいニーズ。既存製品の裏をかく
最高に成功しても、全く儲からないようなビジネスって?
広告や営業はとにかく多種多様に試すしかない
ビジネスは、商品3分、売り7分。売りに注力すべし
売りの手法とは何か
法人営業、代理店営業、Adwords、テレアポ、チラシ
売りの手法や対象顧客によって値段設定なども変わる
弊社がやってきた失敗の歴史
成功例 (オフレコ)
失敗や持久戦を覚悟する
離陸まで数年かかることも良くある
失敗がふつう
pivot!
振り返り
もっと軽量にやるべきだった
開発やデザイン費用は極小にしてマーケティングに回す
もっと顧客視点でやるべきだった
「アントレプレナーの教科書」をもっと早く知っていれば!
これから先
自分が経営者や技術者として天才にほど遠いのを思い知った
弱者は弱者なりに、機敏かつ軽妙に動いていくことで生き残る

2013年2月21日木曜日

独立・起業するときに絶対に必要なことは退路を確保すること

先日、数年間行方不明だった知人から連絡があり、どうしたのかと思ったら、なんと刑務所に収監されていたとのことで驚きました。

彼の経営している会社が資金繰りで困っていることは知っていましたが、その関係でトラブルになり、刑事責任を追及されたようです。

借金などの経済難によって行方不明になっているのかなあ、と思っていましたが、まさか刑務所に入っているとは思いもよらず、大変驚きました。まあ、生きているだけでも幸運なのかもしれませんが・・・

経営者にとって、経営責任を追及されるということは、首になるだけでは済まず、ときとして民事や刑事上の個人責任を追求される可能性があります。

経営をするということの責任はきわめて重く、単なる一会社員とは別の次元と考えたほうが良いでしょう。

もし独立・起業するときには、最悪のケースを破産・失踪・自殺・収監などと考えて、そのような事態にならないように対策を打っておくことが必要です。

失敗することを想定して経営するのか? そんなことでいいのか? と思われるかもしれませんが、経営者にとって失敗は当たり前であり、そのときの引き際の美しさによって、自分や周囲への被害程度というのは、かなり変わってくるでしょう。

周囲に迷惑をかけないためにも、引き際を常に考えた経営をしておく必要があります。失踪などすると周囲の人に著しい悪印象を与えますので、再起がかなり難しくなってしまうのではないでしょうか・・・

フリーランサーであっても、納期が守れない、ぜんぜん開発が成功しない、顧客とうまくいかない、などということは日常茶飯事ですので、そのあたりずぶとい根性で世渡りしていく必要があります。やはり失踪してしまうと印象最悪なので、腰は低くしつつも開き直るくらいの根性が必要です。

事態が悪くなってきたときに、どのように事態を収拾するかということで、その後のことが大きく変わってきます。ナニワ金融道などが参考になるかと思いますが、危機に陥って、焦ってジタバタしてしまったり、失踪してしまったりすると、確実に事態は悪化するんですよね。

最悪の場合「ごめんなさい、本当にお金がないので払えないのです」と言って、潔く撤退して、最低限の法的義務を果たす方向にシフトするのが良いのではないでしょうか。そこで他人のお金に手をつけてしまったりすると、本当に刑務所送りになってしまいますので・・・

事業のほとんどは失敗に終わりますので、失敗に終わることを考えて経営することで、被害や迷惑を最小限に抑えるだけでなく、より真剣味がある、よりよい経営ができるでしょう。もし撤退する案が恐ろしく思えるのであれば、身の丈にあわない事業をしているということです。

このあたり、やはり相談できる先輩経営者がいるのといないのとで大きく変わってくるかと思います。

独立・起業するのなら、弱みを認める、潔く撤退する、失敗を受容する、他人に迷惑をかけることを受容する、といった日本人が苦手とする考え方も持つ必要があります。もちろん他人に迷惑をかけてばかりなら成功の見込みはないでしょうけど、格好付けて見栄を張って一人で無理な勝負を続けたあげく失踪するよりも、さっさと降参する方がみんなのためになることもあるのです。

逆に言えば、失敗しても平気なレベルにとどめておくならば、チャレンジしても何も怖くないのです。失敗を受容することこそが、成功への第一歩かな、とおもいます。

2013年2月11日月曜日

セルフオフショアリングとビザ問題


最近フィリピンを訪問しましたが、その理由の一つに将来の「セルフオフショアリング」に備えての意味がありました。

私はいまでこそなんとか日本で生活できるだけの所得を得ていますが、それを継続できるかどうかわからないと思っています。私は朝起きられないので企業で働くこともできませんし、在宅勤務やフリーランスであっても、あまり日本企業の下請け仕事をしたくないというのが正直な気持ちです。

もし将来的に事業がうまく行かなくなったら、物価の安い海外に引っ越して、なんとかそこで節約生活をして生きていくということを一つの選択肢として考えています。欧米人には、そういう人が大勢います。

たとえば、あるバンコクにいる英国人は、AT&Tのシニアエンジニアとしてリモートで働きながら、バンコクで暮らしています。ま、彼の場合は、十分な給料をもらっていると思うのですが、それでもライフスタイルとしてバンコクを選んでいるのでしょう。

ノマド族(笑)の究極のあり方としては、やはり物価の安い海外で暮らすということに尽きるのではないかと私も思います。そうすれば、もし下請け仕事をするにしても、最低限の量の仕事をやれば済みますからね。自分自身を海外にオフショアしてしまうことが、リモートワーカーにとって最も効率的な生き方です。

ちまたの海外ノマド論は、理念先行型で正直言って実践の役に立つレベルとは到底言いがたいと思います。いわゆる「外こもり」論者の言説のほうがずっと実践的かと思います。やはり海外で暮らすためにはビザの問題をクリアせねばならず、そこは理念や正論だけでは何ともならない世界です。

ビザの状況はつねに流動的に変化しており、なかなか正しい情報をつかむのは困難です。専門家に相談するのが一番なのでしょうが、詐欺師なども多く、専門家を探すことからして苦労します。とくにタイには長期滞在したい外国人が多く、ビザの発給をどんどん厳しくしているとの噂です。

もし正規に自営業者がビザを取得しようとすれば、数百万円以上の投資を行って、タイ人を複数雇用するなどせねばなりません。貧乏だからタイに行く人にそれだけの投資をするのは、なかなか難しいですね。手続きも煩雑でコストもかかりますし、ビザが却下されたり、タイ側パートナーに裏切られたりするリスクも伴います。


実際には、タイにいる外国人にも、プータローみたいな人は結構おり、そういう人はいろいろな手法で対応しているようです。

一つにはビザランという方法があります。ビザランとは数ヶ月ごとに海外に出国して、観光ビザを取り直す方法です。最近はタイはビザランに厳しくなったと言われていますが、まだまだやっている人は多くいます。

語学学校などに籍を置いて教育ビザをとる方法もあるようです。通常は出席を厳しく問われることもないようなので、お金だけ払えばあとは自由という寸法です。

蛇の道は蛇といいますが、やはり現地に住んで、現地の情報をつかまないと、なかなかビザの現状はわからないのが正直なところかと思います。結構ハードル高いです。いずれにせよ、十分な資金力がないと、いつかは追い出されちゃうのかなあ、という感じですね。

いまのところコネとか賄賂とか裏工作とかで何とかする方法はまだまだあるのだろうとは思いますが、タイはどんどん先進国化していますので、物価も上がってきていますし、賄賂なども通じにくくなっているようです。

そこでラオスやフィリピンやミャンマーなどの周辺諸国も見に行っていますが、バンコクと比べると圧倒的に生活の質が低いのが残念なところです。ま、ラオスやフィリピンは住もうと思えば住めると思いますが、ミャンマーはちょっと生活の質が劣悪すぎて住むのは無理ですね。

今度の夏にはバリ島をちょっと覗いてみたいと思っています。バリ島は日本の夏が乾期のようなので、日本の冬期を乾期のバンコクで過ごして、日本の夏期をバリ島で過ごすという手もあるな、と。いまのところ、一年に半年ずつ暮らすなら観光ビザでも問題にならない気がします。(しらないけど)

日本にいて日本企業の劣悪な労働環境で働くのもサバイバルなら、海外で正規のビザもなく生活するのもサバイバル。あんまり明るい未来像が描けません。なんとしても事業を成功させなければ・・・

ちなみに高齢者には引退ビザというものがあったりするので、若い人よりビザはとりやすいです。しかし我々が高齢者になるころに、物価が安くて過ごしやすい国がどっかあるのでしょうか?

引退ビザというのがあるのなら、「リモートワーカービザ」というノマド向けビザもあればいいのになあ、と思いますね。

参考:

  1. 誰も教えてくれない、タイ・ビザのイロハ|Thai visa


2013年2月5日火曜日

アジアが熱い? 日本企業が海外進出する理由なんて本当にあるのか?


またバンコクに一ヶ月滞在している新井です。バンコクにいらっしゃる方はお気軽に声をかけてください。ご飯でもご一緒しましょう。

こちらにいると「タイでビジネスをするつもりがあるのですか?」と良く聞かれますが、私はタイで本格的に事業を行うつもりは一切ありません。

個人が海外進出(放浪、留学、就職)するのに理由など要りません。面白そうだから、武者修行したいから、日本にいても行き詰まったから、そんな理由だけあれば十分です。しかし企業が海外に進出するには、利益があがると考えられる確かな理由が要ります。

大企業には海外進出するための様々な理由があります。市場だったり、税制だったり、労働力だったり、資源だったり、いくらでも理由はありますよね。

しかし中小・零細企業にとって海外進出というのは、かなり難しいものです。

一つには無数の壁が立ちはだかっていること、もう一つにはそもそも進出すべき理由が少ないことです。

進出の壁というのは、すなわちビザ取得の壁、法制度の壁、人脈がない壁、市場に入れない壁、壁を乗り越えるための資金がない壁などです。壁を乗り越えるには資金がかかり、中小企業にはなかなか厳しいものがあるかと思います。

進出すべき理由がないということは、案外皆さん気づいていない方が多くて驚きをおぼえます。

中小企業の資金力で、海外で大々的に市場参入などできっこないのですから、基本的にはビジネスの方向性は3つに絞られます。

1つは日本との間で貿易を行う貿易商。2つめは日本企業の進出にくっついて細かいサービスや工場などを提供するコバンザメ商法。3つめは現地の労働力や資源を活かして、製品やサービスを生産して日本や欧米にうっぱらうオフショア商法です。

中小企業が現地人向け市場に参入しようなどとは基本的に愚の骨頂です。そうした市場では現地人のほうが強いに決っていますし、大手資本でもなければ、市場に参入するだけの営業・販売・マーケティング・物流などの力を投入できないでしょう。

日本向けにITオフショア企業などをやっている会社もありますが、言葉の壁を考えると非常に大変そうだなあと思います。そんな人を使ってる暇があったら自分でコーディングしたほうが速いと思っちゃいますからね・・・

やはり手堅いのは、1.日本企業向けに不動産紹介(駐在員サポート)や人材紹介・育成などのサービスを提供すること 2.日本企業向けに部品の製造や貿易などの下請け仕事やオフショア製造(軽工業)をやる、の2種類ではないでしょうか。

いまだったらミャンマーに進出する日本企業にコバンザメのようにくっついて、サポートの仕事をするといったところが手堅いと考えられているようです。

それって私にとってはあまり魅力的ではないなー、と思いますね。日本企業の下請けをやると、思いっきりこき使われますからね。

「アジアがすごい成長している!」とか「アジアのマーケットをつかめ!」などという議論をしている人たちがいますが、そのマーケットをつかめるのは一部の大企業のみです。成長している国に住むことは楽しいですが、実際に事業として中小企業がアクセス可能なマーケットがどれくらいあるのか考えたほうがいいですね。

日本を代表するような大企業の人たちには、ばんばんアジアやアフリカや中南米に進出してどかんどかん勝負してほしいですが、中小零細企業にとっては海外進出は良い賭けとはいいにくいです。世界進出に賭ける熱い思いがあるなら是非やるべきですが、そうじゃないならやめときましょう。日本でやったほうが成功の確率は高いです。

日本にいながらだって世界と取引できる時代です。べつに中小企業が大上段に構えて海外進出しなくても、ニーズがあればお客さんが向こうからやってくるんじゃないですかね? うちのXCREAMもけっこうな割合の海外売り上げがありますからね。

2013年1月23日水曜日

学習の方法 / Courseraと拡大する格差


いま私の東京の友達の間ではCourseraというオンライン学習サイトが小さなブームになっています。これは、米国のトップ大学のトップ教授たちの講座が無料で受けられるもので、すごい面白くて役立つ授業がたくさんあります。

Courseraや学習について、とりとめのない話をいろいろと書いてみます。本当にとりとめがない随筆なので、軽く読み飛ばしていただければと思います。つまらなかったらごめんなさい。


私はCourseraでは、Machine LearningとAlgorithms: Design and Analysis Part1の授業を修了し、いまはPart2に取りかかっています。そこまでの感想などをまずお話しします。

Courseraは真に革新的なオンライン授業を提供していると思います。画期的である理由は以下の通りです。

1. (これらのコースでは)教授がものすごく教えるのが上手であり、熱意をもって、素晴らしい講義や教材を提供している。
2. 適切な試験や課題などを提供することで、講義を聞くだけにとどまらず、きちんと手を動かして学ぶためのコースとして成立している。
3. 修了するとpdfで修了証がもらえるので、ちょっと頑張ろうかなという気になる。
4. 授業のスケジュールが決っているので、いちど登録したらスケジュールに沿って学ばなければならない。そのため独習とちがって、ペースが遅くなりすぎて投げ出してしまうことが少ない。

私がとったコースは本当に素晴らしい授業内容であり、こうしたものが提供できるのであれば、大学で教授がライブで講義する必要というのはゼロですね。講義はすべてビデオにして、わからないところだけ教えてあげたり、試験や課題だけ大学においてチェックするような仕組みになっていくのではないでしょうか。

私は中卒で独学でプログラミングを学んだので、計算機科学もわかりませんし、数学もちんぷんかんぷんです。それが、これらの授業を受けたことで、プログラマーとしての可能性が大きく広がったと思います。弊社の事業にもいろいろと活かす方法が思いつき、とにかくわくわくします。

ただし、ビデオ講義だからといって優れているとは限らないのですよね。日本の放送大学は長年にわたってビデオ講義を提供していますが、その品質は「悲惨」の一言です。どの講義も、あまりに退屈で意味不明すぎて、とてもじゃないですが見られた代物ではないですね。なぜこれほど品質に差がでるのか、正直いって不思議です。Courseraでも、今後、コースが増えてきたら品質が下がってしまうのではないかと不安です。

もしCourseraがこの水準の授業を数百~数千コース提供できるとしたら、高等教育は完全に変わってしまうでしょう。英語圏の大学はすべてCourseraによる授業に切り替えるのではないかと思います。そうなれば、日本も政府が予算をとってCourseraを翻訳提供するなどの措置が絶対に必要になるでしょう。それほどレベルが高い授業です。

ちなみに社会人がCourseraを受けるなら、一度に一つの授業を受けるのが限界だと思います。一つに絞って、なんとしても修了する気概で食らいついてください。正直、Algorithm Part2は終盤かなり難しくなってきて、かなり苦労しております・・・


今月、東京でCourseraユーザーの小規模なオフ会を開きました。日本では、どういう人がCourseraをやっているのか、何の目的でやっているのか、興味があったからです。

結果から言うと、参加者は外資系超一流企業のエリートの方ばかりでした。

まぁ英語で大学レベルの授業を自主的に受けようという人は、そりゃエリートに決っているかもしれませんが、ちょっと厳しい結果だなと思いました。ちなみに、オフ会自体も英語でやったので、その点でもバイアスはあるかもしれません。

私のように高校にも大学にも行かなかった人間にとって、Courseraのような無料オンライン教育というのは、素晴らしい機会です。それによって社会の格差が縮まれば素晴らしいなあ、と思っていました。

しかし現実には、日本においてCourseraは格差を拡大する方向につながってしまいそうです。エリートほどCourseraの恩恵を受けて、スキルを強化していくでしょう。

残念ながら日本の中卒・高卒および二流大学卒の人の多くは、大学の授業が受けられるレベルで英語ができたりしないでしょうし、高校レベルの数学の知識なども欠いているでしょう。

なによりも、多くの非エリートの人に欠けているのは、自分の知識と学力でもって社会で成功してきた成功体験ではないでしょうか。

日本の教育制度や学習者の姿勢というのは、とにかく学歴と資格の二つに集中しています。学ぶことによって、それがどのような役に立つかということは二の次で、とにかく試験勉強ばかりです。

試験は「何を学べば良いか」「どれくらい達成できているか」について、大まかな枠組みを与えてはくれますが、やはり「どんな知識が得られるか」「どう社会で役立てるか」に比べれば、ずっと些末な達成目標です。試験勉強に偏重した日本の勉強法はいまの時代にそぐわないと感じます。

Courseraをいくら学んでも資格はもらえませんので、Courseraで学ぼうという人は、資格にもならない勉強を自力で学ぶだけの意欲があるということです。このような姿勢がこれからの社会ではとても大切になると思います。


じゃあ、エリートでもない人間が具体的に何をどう学べば独力で成功できるのか?

いま間違いなく役に立つのはプログラミングではないでしょうか。プログラミングができれば、中卒で地方在住でもなんとか家族を食べさせられるくらいの給与は得られますし、仕事に困ることもないでしょう。

そこそこの学歴と何らかのスキルがあるなら、英語もすごく役立ちます。大卒以上で英語とプログラミングが上級なら、東京ではすごく良い仕事が得られます。学歴やスキルがない人は、英語ができても良い仕事にありつくのはちょっと難しいかもしれませんね。残念ながら地方では英語ができても、まともな仕事はないでしょう。

ま、仕事に役立たなくても英語は学ぶ価値があると思います。英語ができなければ、文盲と同じですから。世界の99%を見ることも知ることもできずに生きていくというのは、あまりにむなしい生き方だと思います。井の中の蛙でよいのですか。

Courseraのようなものが、これからどんどん発展して、それが日本語に翻訳されないとするならば、英語を学ぶことは誰でも必須になってくるでしょうね。それくらいCourseraは画期的です。

学習法についてうだうだ書くつもりはありませんが、とにかく気合いをいれて学ぶしかないでしょうね。いまどき英語やプログラミングくらい誰でもできて当たり前という心構えで臨んでください。時間も根性も必要ですが、やるしかないのです。