2016年11月12日土曜日

中国でも香港SIMで自由にインターネットを

以前、中国でVPNを使ってインターネットアクセスを試みたという記事を書きましたが、あれはほとんど失敗といっていいくらいつながらない状況でした。

中国のインターネット検閲装置である金盾はかなりよく出来ていて、SSLのように一般的に使われるプロトコル(それ自体は制限されていない)であっても、その接続がVPNに使われているかどうかをトラフィックから検知し、検知すると大幅に通信速度を制限して使い物にならなくするという機能がついているようです。(これは極めて高度な仕組みであり、これを大規模に実装するには高度な技術力と莫大な資金が投じられていることは間違いありません。)

そのためVPNで通信していると、しばらく時間が経つと全く通信できなくなるということがしばしば発生します。使っているサーバーや業者によっては安定してつながるという説もありますが、本当かどうかはよくわかりません。

しかし現在、誰でも安定して中国からインターネットにアクセスする方法があります。

それは香港SIMを使うことです。

中国政府は、携帯電話の海外ローミングによるインターネット利用は規制していません。おそらく外国人が使う分には構わないという判断や、他国の通信会社との取り決めなどの政治的理由によるものや、プロトコル上他国を経由して通信するので技術的に規制困難などの理由によるものかと思います。

(しかし香港SIMは本人確認なしで買えますし、完全プリペイドなので、自由に他人に譲渡することができてしまいます。これを中国に輸入して大量に売りさばく人がでてきたら中国政府は困ってしまうのではないかと思いますが?)



海外ローミングは一般的には高額なものですが、香港SIMは中国国内での通信を比較的安価に提供しています。一番割安な「跨境王4G香港號碼版」では、1GBあたり118香港ドル(約1600円)で利用可能です。これは日本のMVNOに比べれば高額ですが、世界的にみればさほど高くない水準と思います。

現在、これを利用しながら1ヶ月の中国旅行を行っていますが、とても安定して使えています。これをもっと早く知っていれば、台北ではなくて中国に語学留学できたのに!と悔しい思いで一杯です。ただローミングしてPCからウェブを見ていると1GBなんてあっという間に使ってしまうので、お金がかかってしょうがないですが…。(ちなみにウェブでクレジットカードでトップアップ可能)

注意点として、中国についてSIMを入れて起動してから、回線が開通するまでに数時間かかったことです。最初は壊れているのかと思い、とても不安になりました。しばらく待ちましょう。



海外SIMを使うのは難しいことではありませんが、SIMロックのかかっていない携帯電話が必要です。それをもっていない人は激安のWifiルータを買うといいでしょう。ただし普通の携帯電話で海外SIMを使うのと違って、利用には多少のITの知識が必要になります。

このモバイルWifiルータだと、電話を発信する機能がないので、海外プリペイドSIMで必須となるデータパッケージの選択や、トップアップ(プリペイド料金追加)ができないんじゃないかという疑問符がつくので、長期の旅行にはむいてなさそうです。

中国の滞在予定が短い人や、あまりデータ通信量の多くない人は、こちらの旅行者用データ専用カード(7日間または30日間)を使ってもいいかと思います。自動でデータパッケージが適用になるので、電話機能がなくても利用できます。



ちなみに、これまでも中国国内に拠点を置く大手外国企業は、中国政府の許可を受けて正式にVPNや専用線を利用することで海外と自由に通信ができていました。最近、それを一般の個人や小規模法人に提供し始めた日系企業があるようです。

こちらのグローバルゲートウェイでは、通常の中国国内のインターネット回線に、こちらの会社が提供するヤマハルータを設置することで、公式に許可を受けた対外回線に接続することができ、高速かつ安定した通信ができるそうです。

実際に使ったことはないのでわかりませんが、こういうサービスがあるのなら中国に住むことも可能だなぁと思いました。

2016年10月25日火曜日

旅行中に鼻うがいする方法

さいきん鼻の健康に気を遣っているため、鼻うがいをしています。

鼻うがいをするためには、生理食塩水が必要なのですが、旅先にいちいち計量スプーンやカップなどを持ち運んで、塩と水を計量して作るのは邪魔すぎますよね。

で、何とかする方法はないかとAmazonで色々と探していたら良い方法が見つかりました。1gなどのサイズに小分けにされた塩が売られていたので、それを鼻うがい用の容器(80ml前後)のものに直接いれて、水をいれて振り混ぜればOKです。

これだと生理食塩水よりは塩分が多い高張食塩水になってしまいますが、それでも健康上の問題はないようです。ちょっと塩辛いのが難点ですが。





2016年10月18日火曜日

電源が切断されると警報を発する装置を作った

会社の事務所で、しばしば電源コンセントがいつのまにか抜けているという問題が発生してました。

電源が抜けているのに気付かないと問題が起きる場合もあるので、電源が切れたときに警報を発する装置が欲しいと思いましたが、軽く検索しても見当たらないので、自分で作ってみることにしました。電気回路について学んだことはないので、見よう見まねでやってみるのも面白いかな、と。


電源が切れたらブザーを鳴らすような回路を作るのは簡単だろうという読みがありました。

ブザーの電源に電池を使えば簡単ですが、電池の寿命などの問題があるので、電気二重層コンデンサを使って、接続中はコンデンサに充電し、電源切断時にコンデンサの電力でブザーを鳴動させるという回路を考えてみました。(その方が回路設計上も面白いですし)

ちょっと調べたところ電気が流れているかどうかによって回路を切り替えるには「リレー」という部品を使えばよいことが分かったので、それで回路設計を開始しました。

回路設計にはブラウザで動作する回路シミュレータ Falstadを使いました。


実装にはブレッドボードを使っています。

当初、実装したところコンデンサからリレーに電力が逆流してリレーが復帰しないという設計ミスが判明し、急遽ダイオードを発注して追加するというような問題もありましたが、あとはすんなり完成しました。

簡単な回路ですが、一から自分で設計することができ、抵抗、コンデンサ、リレー、ダイオードなどの基本的な素子をいろいろ使うことができたので楽しかったです。

2016年10月14日金曜日

【不眠症対策】毎日アイスノンを頭に巻いて寝ています

先日の記事で、頭を冷やすことによって不眠症を治療する器具がFDAに認可された話を書きましたが、twitter上で「アイスノンでもいけるのでは」という指摘があり、さっそくアイスノンを買って実験しています。

「アイスノンベルト」という頭に巻く商品と、「アイスノンソフト」という枕として敷く商品があり、両方買ってみました。

最初は試しに両方装着して寝たんですが、アイスノンソフトは朝になってもやや冷たいくらいの強力な保冷能力を持っており、それで首から冷やされると全身冷え切ってしまいます。朝になると風邪みたいな状態になってふらふらです。これはちょっと僕には向いてないな、と。

アイスノンベルトはなかなか良い感じです。1時間くらいで保冷力がなくなってしまうんですが、まあ寝ようと思ってから装着して1時間くらい頭をひやせればそれでいいと思うので、とりあえず満足しています。

装着直後は冷たすぎるので髪の上から冷やして、ぬるくなってきたら直接おでこの皮膚にあてて冷やしています。

効果があるかどうかはわかりませんが、私としては悪くないかなという感じです。

2016年10月4日火曜日

病院をどうやって選ぶのか? - 因果関係と前後関係

(この記事は一般向けではなくて、特定の記事への異論として書いているので、その記事を読んでない人が読んでも面白くないと思いますので、飛ばして下さい)

先日、「健康は命より大事」 – 実践編 – - Kwappa談話室という記事が流れてきて、非常にもにょもにょしたのですが、一週間以上経過しても心のもにょもにょが収まらないので異論記事を書くことにしました。

この記事を書かれたのは私と同じソフトウェア業界の方であり、共通の知人が納得したようなブクマをつけていたので、まあ、ここは一つ異論を言ってみても何かの参考になるかもしれんと思ってます。

この記事は、「高熱が出て数日間寝込んだ→大学病院に行って徹底検査を受けて抗菌薬の静注を受けた→治った→なので数日間寝込んだら大学病院に行くべき」という記事なのですが、端的にいってものすごく因果関係に疑問がある記事だと思われます。

私は医師でも医療関係者でもないので、病気や治療や検査についてはわかりませんが、単純に論理的誤謬がはなはだしいにも程があると思いました。

具体的に以下のような疑問が生じます。

  1. 抗菌薬を静注投与したことによって回復への道のりは短縮されたのか? ただ家で寝ているだけでは本当にいかんかったのか?
  2. 大学病院に行かなければいかんかったのか? 近所の医者では本当にいかんかったのか?
  3. 仮にこのケースで大学病院に行ったことが最善であったとして、それは他の読者にとって一般化できる法則なのか?
人間の身体は複雑であり、外部から観察した場合は、あくまで確率的な推定を置くことができるだけです。だから今回のケースについて、著者が間違った行動をしたということは言えませんが、かといって近所の医者の判断が間違っているということも言えないわけです。

なぜか著者は、もし近所の病院に行ったら治っておらず、大学病院に行ったことがとても良かったという断定をしており、それが一般的な事例に適用できるとして他人に大学病院に行くことを極めて強く勧めているわけです。そこには何の論理的裏付けもありません。ここが大変もにょもにょする所です。

実際には、著者は近所の病院には受診しておらず、電話で看護師と話したにとどまります。また近所の開業医を受診して血液検査を受けたというが、再度受診して結果を聞いたのかもわかりません。後医は名医という言葉がありますが、最初は単なる風邪程度と思っていても、時間が経てば重大な病気かもしれないという疑いが増えてくるわけです。 

これらの事象では、何の因果関係も明白ではないし、相関関係すら明らかではないのに、それでもって「絶対に大学病院へ行け」と断言してしまうことに非常に不思議な印象を抱きました。

著者は、大学病院にいって隅から隅まで検査してもらって、入院して抗菌薬静注を受けたことですっかり納得したようですが、実際にはそれは過剰な検査や治療だったということも可能性としてはあるわけです。もしも小さな病医院に患者を軽症だと見なすバイアスがあると言うならば、大きな病院には患者を重症だと見なすバイアスがあるということも逆に言えるわけです。(実際にそのようなバイアスがあるかどうかは知りませんが)

有名なプログラマである著者が、なぜこのような単純な誤謬を犯すのか、不思議でなりません。


もちろん、どの医師を受診するかということは、とても重要な問題であり、情報が少ない問題でもあると思います。

医師や医療団体が「患者はどのような心構えでどのような医療機関を受診すべきか」に対して、一貫性があり誠実な情報開示をしていないように私には感じられます。

医師は、ときには「風邪のように見えても危険な病気が隠れている場合があるから自己判断せずに早い受診を」というようなことを言う一方で、「救急外来は疲弊しているから、軽症で受診するな、軽症で救急車を呼ぶな」などということを言ったりします。はっきりいって「じゃあ軽症とは誰がどのように判断するのか? 軽症かどうか患者が判断できるなら医者いらんわ!」としか言いようがないと思いますね…。

このような一貫性のない情報を垂れ流すのではなく、「どのような症状のときに、どのような医療機関をどのような基準で選定し、いつ受診して、どのように訴えをすればいいか、それからの検査や治療の流れはどのようになるか」ということをまとまった情報として提示すべきでしょう。

そのなかで「病院受診マニュアル」というブログはなかなか良い情報を提供していると思いました。ブログとして雑多な記事で埋め尽くされているので、実際に医者を探している人にとってはちょっと読んでる暇ないよ、という感じだと思いますが…。

このような本音ベースで、病院を受診するためのマニュアルが、ひとまとめに読みやすくなれば大変需要があると思うので、誰か作ってもらえないものでしょうか?

2016年9月15日木曜日

疑似科学とどのように向き合うべきか

さて前の記事の続きです。

前の記事で長々言ったことをさくっとまとめます。

まず私は疑似科学を批判したり論駁したりすることは全く意味がないと思っています。

なぜなら、多くの場合、疑似科学を信じている人は科学的に正しいかどうかに興味を持っていないので、科学的に間違ってるとか合っているとかいう議論は意味がないからです。

さらに疑似科学的な言説は世の中にあまりに多すぎるので、一つ一つ批判していたらキリが無いどころか、社会的に抹殺されかねないとすら思います。

では、どうしたらいいか?

それには三つあります。


1. 批判ではなく教育をすること

全ての人が正しい科学的知識をもって正しい考えを持つなどということは現実的ではありませんし、そうなるように教育することなどは不可能でしょう。

しかし科学教育において重要なキーポイントとなる考え方というのは存在すると思います。

例えば「対照試験」という考え方は、水素水のような健康関連分野から、オーディオオカルトのような分野まで幅広く一刀両断にする知識を持つことができるだけでなく、実社会において仕事や学問などに役立てることができるという素晴らしい知識です。(対照試験は、科学研究や工学や医学の世界だけでなく、マーケティングの世界でも広く使われています)

このような優れた考え方を普及させるために全力を注ぐべきではないでしょうか? また、物事を適切に疑うような多面的な考え方の育成や、ディベートの授業なども役に立ちそうです。

また、もし疑似科学批判をするのでも、このようなキーポイントに的を絞った批判をしなければ、余計に議論を混乱させるだけと思います。

水素水を批判するのに適切なのは「適切な対照試験を経ていない」という一言だけです。「飲料水に水素を入れることなど不可能」みたいな言説は不適切です。じゃあ実際に飲料水に水素を入れちゃった人がいたらどうするのか?という話です。


2. どうしても批判する場合は、非科学性ではなく、言説を取り上げている社会的文脈を踏まえて批判すること

それでもどうしても批判しなきゃいけない場面というのもでてきます。例えば、反ワクチン運動だとかいうようなものは一切許容出来ない言説です。また新聞やテレビのような影響力の大きいメディアでは、健康や医療の偽情報がでることなどは許容出来ないでしょう。

私は、反ワクチン運動を広めるような発言であれば、facebook上の普通の友人であっても、必ず絶対に反論することにしています。それが友情を傷つけるとしても、反ワクチン運動だけは社会的に絶対に許してはならないからです。

しかし、そのときに「反ワクチン運動は科学的に間違っている」などということは全く意味がないことだと思います。そもそも反ワクチン運動を信じる人は、科学的正当性などに興味がないどころか、「何が正しいのか、何が嘘なのか」などということ自体に一切の興味をもっていないと思います。

だから私は「反ワクチン運動が広まれば、多くの子供達が苦しむことになる」ということに絞って伝えます。とにかく子供たちが苦しむ、というイメージを伝えることが大事です。その理由はあまり大事ではありません。

反科学性を批判するのではなく、その偽の言説が社会的にどういう悪影響があるのかを、その発言した相手だとか、記事を載せた新聞社だとか、そういうところに直接に伝えなければいけません。


3. なぜ疑似科学が生じるのか、その理由について考察する

僕は、この数年間、とても不思議に思っていることがあります。facebookで世界の友人の発言を見ていると、女性の間で、なぜか自然派志向みたいな不思議な宗教的な発言がとても多いということです。

○○という食品は自然だから良いとか、ヨガをして空気中の何とかパワーを取り入れようとか、○○という食品は化学成分が含まれているから悪いとか。

こういう発言は、世界のどこの女性にもかなり広まっています。そういう発言をおおっぴらにしない人でも、じつは化学調味料は健康に悪いと信じていたり、そのような価値観を持っている人が大勢います。

こうした考えは今に始まったことでもないでしょうが、なぜこうした発言がミームとなって世界中に広まるのか? なぜ疑うことをせずに、こうした発言を受容するのか? その点が私にとってとても興味深いと思っています。

なぜそうしたミームが強力に広まるのか、逆にどうしたら良いミームを広げることができるのか? そういうことを考えなければ対策は難しいように思います。

なぜ私は懐疑主義者が嫌いなのか - 水素水批判ブームを批判する

世の中には懐疑主義者と呼ばれる人達がいます。懐疑主義者とは、疑似科学、すなわち科学的であるかのように見せかけながら実際は科学ではないデタラメを批判するという活動をしている人達です。

もちろん間違っていることを間違っているというのは悪いことではありません。もちろん私も疑似科学のことは嫌いです。

しかし私は懐疑主義者のことも好きではありません。なぜなら彼らは批判のために批判するという状況に容易に陥りがちだからです。正しい知識を広めることではなく、批判すること自体が使命になってしまうのです。

端から見てると、懐疑主義者のほうがオカルト人間よりもよっぽどアホのように見えてしまいます。なぜなら懐疑主義者には物事の本質が見えていないからです。


例えば、最近は水素水なる商品が出回っているという話です。

私は、やたら多くの人が水素水批判を繰り広げるのを目にしました。その批判者の多くは、単に他の人が水素水を批判しているから、尻馬にのって批判している人達のように見えました。そういう発想は、本来の懐疑主義という精神から正反対のものであるように思います。

確かに水素水なるものが健康に効果があるということは明らかに誤りであり、詐欺であるように思われます。しかし残念ながら世の中にはそのような誤った言説は無数に存在しているのであり、それを一つ一つ否定していたら、まともに社会で生きていくことすらできないでしょう。

水素水が科学に反しているとして、それを科学的に説明することなど何の意味もありません。もしも、あなたが生理学者であり、新聞に記事を書く機会があるなら、水素水否定のような解説をすることにも意味はあるでしょうが…。

でも、水素水のようなものがいかに間違っているかを片端からあげつらっていても、それは単なる偏屈者であり、物事の本質が見えないアホでしかありません。

なぜなら水素水を買うような人々は、そもそも「水素水が科学的に効果があるかどうか」などについて1ミリも興味を持っていないからです。

水素水批判をする人は、神社に行って「お守りは科学的に効果がないから詐欺商品だ! 買うのをやめろ愚か者共め!!!」と叫んでいるようなものです。そう考えれば、水素水を買う人よりも、水素水批判をする人のほうがよほど愚かだということがお分かりになるのではないでしょうか。


現実において、全ての人が全ての物事に関して正しい考えを持つということはありえませんし、そもそも正しい考えとは何なのかという話になります。疑似科学批判者が、経済学や法律学や心理学や社会学などに関して全て完璧な知識を持っているのか? そんなことはありえないでしょう。自分は絶対に誤りを犯さないと思っているならとんでもないキチガイです。

私は、ものすごく物事を疑ってかかる人間だと思っています。そうしてみると、世の中の言説の99%くらいは、真っ赤な嘘か、正しいことが証明されていないか、掘り下げが足りないため実質的に多くの問題を抱えているか、そのようなものになっていると感じます。

でも現実的に人間は、限られた知識や時間の中で、考え、発言し、決断をくださなければならないのです。さらにそれを記事にするとなれば、文字数も厳しく制限されてしまいます。本ブログのようにいちいちだらだらと長く書いていたら読んでくれる人はせいぜい数人~数十人程度です…。

そのような誤りだらけの社会のなかで特定のタイプの間違った言説だけを取り出して批判することには何の意味もないと思っています。

かといって全てのタイプの間違った言説を批判していたら社会的に抹殺されるでしょう。全ての宗教の信者や、天皇制度の信奉者などに片っ端から喧嘩を売っていたら命がいくつあっても足りません。サウジアラビアにいって「アッラーは存在しない!」と叫ぶような人がいたら真の懐疑主義者ですが、すぐに死んでしまうでしょう。

だから疑似科学を批判する人の多くはナイーブなアホで、かつ自分の得意な領域で他人を批判して喜んでいるだけのクズだと思っています。

では、疑似科学とどのように向き合えばよいのか? それについてはあまりに長くなりすぎたので次の記事に続きます…。


ちなみに私も昔はこのような醜悪な懐疑主義者でした。たしか10年くらい前かな、インターネットで菊池誠という人とその周りの懐疑主義者連中を見て、疑似科学信奉者を嘲って喜ぶ姿のあまりの醜悪さにギョッとして、懐疑主義者批判者へと転向しました。

(とこの記事を書いてから、ふと思い立って「菊池誠」で検索したら「疑似科学批判批判」というジャンルの議論がすでにいろいろとあることに気付いてしまった。書く前に気付けばよかったよ…。この記事は自分でもあまりうまく書けたと思わない…。というか最近はブログの文章が全くうまく書けない…。)

2016年9月7日水曜日

不眠症を治療する頭部冷却機器をFDAが認可

米Cereve社の不眠症治療装置Cereve Sleep SystemがFDA(アメリカ食品医薬品局)により認可されました

この装置は、前頭部を冷却して、意思を司る前頭前皮質の温度を下げて不活発にさせます。それにより脳の活動レベルを低下させ、睡眠をもたらすという、画期的な作用機序を有する装置です。不眠症を治療する機器としては世界初になります。

この装置は、米国での臨床試験により、睡眠の導入(統計的に有意なsleep latencyの短縮)をもたらすとされています。睡眠の維持に効果があるかは定かではありません。

不眠症の治療として一般的に使われるのは睡眠薬ですが、良く知られているように既存の睡眠薬の多くには決して軽くない副作用があります。現在広く使われる睡眠薬は、人が死ぬような副作用がないという点では安全なものですが、不快な副作用が多くの人に生じます。この装置では、薬よりも副作用が少ないことが期待されます。

問題は、この装置にどれくらいの効き目があるかです。例えば、Ramelteonは統計的に有意なsleep latencyの短縮をもたらす薬であり、副作用も極めて軽度ですが、効き目が弱く、人によっては効果が感じられないほど弱いという問題があります。もしこの装置が、少ない副作用でZolpidem 5-10mg程度の効き目があればかなり売れるでしょうが、Ramelteon程度であればあまり売れない気がします…。

FDAの認可書類に記載された臨床試験結果からすると、latency to persistant sleep (10分以上の眠りに落ちるまでの時間)では偽治療(高い温度での装置の着用)との間で統計的に有意な違いをだすことができず、latency to phase-1 sleepで12分程度の短縮ということです。Ramelteonの臨床試験結果と比べても、これはかなりショボイです…。

装置は、枕元に冷却機器を置き、そこから14~16度の冷却液がポンプで冷却パッドに送り込まれるという仕組みのようです。どれくらいの大きさになるか、騒音や価格がどうなるかもポイントですね。FDAの認可書類に写真が掲載されていますが、装置はそこそこの大きさがありそうなので、旅行には不便かもしれません…。

予定通りにいけば、2017年の後半には発売開始になるとのことです。もし発売されたら、私はさっそく米国に飛んで、この装置の処方を受けようと思っています。とても楽しみです。

装置が効き目があるかどうかはわかりませんが、現在、私は寝るときに部屋にガンガン冷房をかけて体温を下げてから分厚い布団をかぶって寝ているので、それをしなくてすむだけでも健康に良さそうです。


以下詳細。(むやみに長いです。あと講義の内容を書き写してるので、私もあまり良く理解してないです)

私がこの装置を知ったのは、CourseraのSleep: Neurobiology, Medicine, and Societyという授業でした。この装置の発明者であるNofzinger博士が直接講義をしてくれて、とても興味を持ちました。(残念ながらこの授業はすでにCourseraのサイトから消えています)

ちなみに、この講義を見ることがなければ、この装置の情報を見たとしても、どうせ新手の詐欺だろ、と思って無視していたと思います(笑)

これを発明したNofzinger博士は、睡眠障害と脳機能画像の専門家であり、不眠症患者において脳の活動レベル(糖代謝レベル)が高くなっているということと、脳を冷却することで代謝を低下させ、神経活動を低下させることができるということから、この治療法を思いつきました。

Braunらの研究によれば、REM睡眠中もNREM睡眠中も前頭前皮質の活動が大幅に低下していることが示されています。それが夢の中で、あまりに馬鹿げた判断をしてしまう理由かもしれません。私も個人的に、寝ようとしているときに考えていることがアホになってくると、そろそろ寝れるなという感じがすると思っています。

脳内では様々な部位が睡眠や覚醒を司っていますが、前頭前皮質はとくに睡眠に関わる部位ではなく、脳全体の意思決定をする司令塔のような場所だと言われています。前頭前皮質は脳内でも表面に近い場所にあり、表面を冷却するだけで温度を下げることができるのがポイントです。

前頭前皮質が活動的である場合、そこからの刺激が、感情を司るLimbic systemや、睡眠覚醒に大きな役割を持つReticular FormationやBasal Forebrainや視床下部に伝わり、そうした部位の活動レベルを高めてしまい、それがまた前頭前皮質へとフィードバックされる悪循環になってしまうとのことです。

Nofzinger博士の研究によると、前頭部を冷却することで、前頭前皮質の代謝レベルが低下したことが画像で確認され、Slow-wave sleep (SWS, 深い眠り)も増えたとのことですが、これについて論文を発見することができませんでした。

不眠症患者では、起きているときに前頭前皮質や脳全体の活動レベルが高まっているだけでなく、視床下部やAscending Reticular Activating System (ARAS)などの活動が睡眠中にも高い状態にあることが発見されました。こうした部位はベンゾジアゼピン受容体作動薬によって直接抑制することもできますが、この装置を使って前頭前皮質からの信号を抑制することで抑えることもできるかもしれません。

ついでに検索したところJoaquin Fusterという研究者が、前頭前皮質を冷却することで、タスク遂行能力を下げることができるという発見をしているようです。

以上、この装置はとてもとても興味深い装置だと思うのですが、論文が全く出ていないため、まだ詳細は謎に包まれている感じです。続報が待たれます。

2016年9月1日木曜日

富士通x86サーバがいつのまにか99.999%の可用性を達成していた件

富士通は、メインフレーム、SPARC、x86など、多種多様なサーバを発売していますが、そのなかに高信頼性x86サーバPRIMEQUESTという製品があります。

この製品シリーズでは、マザーボードも含めた多重化を行い、高い信頼性を売り文句にしていましたが、最新機種ではXeon E7の高信頼性機能を使い、マザーボードやCPUに故障が発生しても故障したマザーボードを自動的に切り離して、停止せずに稼働を続けることができるという驚くべき機能を搭載しています。

さらに、動作を継続したままマザーボードやCPUの交換や追加を行うことができるという変態的な機能まで実現しています。

これにより主要な部品全てが完全多重化され、主要部品が故障してもそのまま動作を続けることができます。

それによって99.999%というIBMメインフレームと同等の高可用性を実現しています。

Intelが詳しい説明を出していますが、こうした機能がx86のLinuxで実現されるのは世界初ということです。

ヒューレット・パッカード社は、超巨大x86サーバのSuperdome Xを発売していますが、そちらよりも先に富士通が実装したということは驚きです。

これが特別なOSではなく、通常のRedhat Enterprise Linuxで実現されているというのだから、さらに驚きです。ハードウェアとOSレベルで実現された高可用性なので、ソフトウェアに全く改変が必要ないというのも魅力と言えるでしょう。

メインフレームなどいくら高信頼性といっても、ハードウェアの保守運用だけでも特殊な知識を必要としますし、さらにその高信頼性を引き出すために特殊なメインフレームOSまで使うとなると、ソフトウェア開発費用や保守費用が爆発的に増大してしまいます。

もちろん信頼性はハードウェアだけで担保するものではなく、ソフトウェア障害やネットワーク障害もありますから、このサーバを導入するだけで高可用性が得られるものではありません。しかし、それでもハードウェア故障が防げることによって、システム全体の高可用性を保つことが容易になります。

ソフトウェアによる冗長構成も必要ですが、フェイルオーバー時のトラブルを考えると、なるべくフェイルオーバーしないに越したことはないのが現状だと思います。

気になるお値段は非公開のようですが、過去のモデルなどから類推すると、ハイエンドx86サーバとしては一般的な数百万円から数千万円程度の価格設定なのではないかと考えられます。頑張れば手が届く金額となってくると、俄然欲しくなってしまいますが、そんな大金をサーバひとつに使うわけにはいきませんので、我慢我慢です。

2016年8月28日日曜日

エスカレーターの左側行列が日本の問題を端的に表している

【どうでもいい話なので、あまり読むのは推奨しません。ただ書きたかっただけです】

あまりにどうでもいいことなんですが、この10年間くらいずっとイライラしつづけていることがあります。それは日本でエスカレーターに乗る人々が、どれだけ混んでいて右側を歩く人がいなくても左側にならびつづけ、長い行列を作っていることです。

これを見るたびに「病的だ」と心から思います。

他の国であれば、深く考えずに両側に立つ国もあるでしょうし、片側にたつけれども人が増えてくると自然に列が乱れて両側に立つようになるというケースもあるでしょう。しかし片側に行列を作って無駄な状況を作るというのは主に日本に特有の状況と思います。

日本では「空気」を読み、他人を過度に恐れる人が大勢いるために、どんなに無駄であっても左側に行列を作るということになるのです。臨機応変ということが許されない日本の空気というものを象徴していると思います。

あくまで右側に歩く人のための通路を通すというのは、すごく空いていればそのようにすれば便利だというだけの話です。それがいつのまにか絶対的ルールとなり、混んでいるときにわざわざ待ってまで右側に立たないようにするというのは病的であり日本社会の異常性を良く表していると思います。

私はそのように思うので行列ができているときに右側にすっと立つようにしてるのですが、誰も追随してくる人がいないので、状況の改善には全く役立たないのが残念なところです。

さらにそのようにするときは緊張しますね。いちど新宿駅のエスカレーターで、右側に立っていた男性のことを、後ろから来たチンピラ男が蹴りつけていたのを見たことがあるので。後ろから来た人がいたら攻撃されないか気をつけてしまいます。日本人は「空気」に従わない人は攻撃しても良いと思ってる人は結構いるし、わりと攻撃的な民族だと思いますので…。

僕は日本社会の悪い面から距離を置いて生きているので、人生幸せなんですが、エスカレーターに乗ったときだけは日本社会の暗黒面を意識せざるを得ません。こういうことが学校や会社などの古い組織では日常的に行われているのだから、日本で組織や人間関係に圧殺されて自殺する人が増えるのも無理はないというものです。

2016年8月17日水曜日

CPAPの通院レンタルをやめて通販で購入する方法

(2017年7月追記) 注意事項: 今月CPAPマスクを米国から輸入しようとしたところ、Fedexから必ず薬監証明を取得するように言われているという連絡がありました。手続きがちょっと面倒くさくなっているので要注意です。

先の記事で書いたように日本の保険診療制度ではCPAPはレンタルのみで、毎月意味もなく通院しなければならず、めちゃくちゃ面倒ですし、割高でもあります。

しかし諸外国ではCPAPは購入が当たり前ですし、とくにCPAPメーカーが存在する米国ではCPAPは通販でかなり安く買うことができます。

通販で購入するには、処方箋が必要だったり、ResMedとPhilipsは海外通販禁止にしているなど、いくつかのハードルがありますが、そこさえクリアすれば自分のCPAPが安価に手に入ります。


こちらのcpap.comでは、わかりやすい多数の解説とともにCPAPの販売を行っています。安い機種から高い機種まで色々と揃っています。

私が購入したのは、REsmartという安い機種で、マスクとあわせても500ドル以下で買えました。

手順も簡単です。まずこちらのページにある処方箋を印刷して、主治医のところへ持って行き、署名をもらいます。そのときに圧力の設定も記入してもらいましょう。

そのあと処方箋をメールするか印刷してcpap.comに送ると、購入が可能な状態になります。

あとは本体とマスクを選んで注文するだけです。送料は60ドル程度で送ってくれます。

処方箋には快くサインしてもらえると思いますが、万が一主治医が嫌がった場合は面倒なことになりますね。そのときは紹介状を書いてもらってどこか別の医者でサインしてもらうしかないでしょうが、その手間など毎月通院を続けるのに比べれば楽なもんです。

タイ、バンコクのBumrungrad病院で一泊入院して睡眠検査を受けた話

さいきん私は毎年冬になると、寒い日本を逃れて、バンコクで三ヶ月くらい過ごすことにしています。バンコクは世界でも有数の国際都市であり、多くの外国人が観光したり住んでいるだけでなく、外国人が英語で生活しやすい環境が非常に整っています。

とくにバンコクの総合私立病院はとても設備が充実し、サービスが良いということで、世界中から患者が集まっています。そのなかでもBumrungrad総合病院は、バンコクを代表する高級総合私立病院として有名です。

睡眠検査用特別病室の様子

私は、睡眠時無呼吸症候群で治療を受けているのですが、日本の医療では満足出来ない点があるので、あえてバンコクで再度検査を受けることにしました。

日本の睡眠時無呼吸症の治療は、保険診療の制約により、大きな制限を受けています。治療に使用する機器のCPAPというものは、買い取ることが出来ず、医療機関からの貸し出しでしか利用することができず、毎月必ず病医院へ行って診察を受けなければなりません。

そのため私のようにあちこち旅をする人間にとってはCPAPを日本の医療体制のもとで利用するのは不可能に近いという問題がありました。

また最近はCPAPではなくマウスピースを使って治療しているのですが、その効果判定もかねて、いちど検査を受けたいと思っていました。しかし日本の医療機関で受診したときには、どこもあまり良い印象を受けなかったので、いっそバンコクで検査を受けて、CPAPの処方箋も書いてもらったらどうかということを思いつきました。

Bumrungrad総合病院には、睡眠薬を処方してもらうためなどに訪れたことがありますが、便利な場所にあり、設備も整っており、安心して受診出来るという印象を持っていました。費用についても睡眠検査パッケージというものがウェブサイト上で提示されているので、おおよそどれくらいかかるのか分かるのも安心でした。

タイの有名私立病院では、医師を含めた多くのスタッフが英語を話せるだけでなく、日本語を話せる医師や、日本人医師、日本人スタッフ(医療コーディネーター)や、日本語通訳などがおり、日本人でも外国人でも安心して医療を受けられるようになっています。

費用に関しても、2015年現在では決して馬鹿みたいに高いわけではありません。治療費総額自体は日本の病院と大差ないのではないでしょうか。そのうえ海外療養費制度を使えば、日本の健康保険を使って7割の給付を受けることができますので、日本と同じくらいの費用で受診することができます。

かわいい患者着と識別バンドを着けて自撮り
睡眠検査の手順は日本と同じようなものでした。始めに医師の診察を受け、検査日を予約します。それから一泊入院して検査を受けます。

睡眠時無呼吸症の疑いで検査したので、あらかじめ検査用のCPAPが用意され、split night testで行われました。睡眠の前半はCPAPなしで睡眠して無呼吸の度合いを検査し、無呼吸があるようであれば後半はCPAPをつけてどれくらいの圧力が適正なのかを調べるという手順です。

この検査で担当してくれた睡眠検査技師の女性が、とても知識が豊富なだけでなく、電極をつけたりする作業の間、睡眠について色々とゆっくり話し合ってアドバイスをくれたのがとても良かったですね。なかなか睡眠の専門家とゆっくり話せる機会というのはないですからね。医師はこちらでも三分診療ですし…。

さらに有り難いことに詳細検査データの出力コピーを渡してもらえたので、これで自分でどのような状態かを良く把握することができました。日本の病院などでもこういうサービスはぜひ取り入れて欲しいですね。

退院後、医師の診察を受けたところ、CPAPはこちらの病院で買うとものすごく高いという事なので、米国のCPAP通販業者の処方箋に署名してもらい通販で買うことにしました。このCPAP通販の話と、海外療養費請求の話はそれぞれ別の記事でまた書きたいと思っています。

日本で医療を受けるのに比べてタイの医療がベターなのかというと、それはケースバイケースでしょうが、すくなくとも日本に比べて劣るというわけではなく、タイに在住している人は安心して医療を受けられますね。

病室にはこんなアメニティもついていたよ♥

2016年5月31日火曜日

選挙を改善するための2つの方法、標本抽出と順位付け投票

(このブログは古いサーバーで動いていたarai blog 05/24/2010からの再掲です。一部表現を分かりやすくするため修正しています。)

選挙や政治というのは、なんかうまく動いていないような感じを持つ人が多いのではないでしょうか。改善策は色々と提示されますが、その多くは非論理的であり、効果は不明確で、いわば思いつきにすぎないものだと思います。

選挙をよりよくする、ということは、すなわち民意をより正確に反映するということです。たとえば私は以下のような価値観を持っています。これは比較的、多くの方にとって受け入れやすい価値観ではないでしょうか。

  • 考えなしの投票よりも、よく考えておこなう投票の方がよい
  • 組織票の影響など、投票者(=棄権者)の偏りによる影響は少ないほうがよい (組織化された集団ほど投票率が高くなり、組織化されてない人の意見が反映されにくくなるので)
  • 似たような候補者間での票の食い合いによって当選者が変わることはないほうがよい

もちろん一票の格差などは正されるべきですが、それは社会の平等さの問題であり、より正確な選挙を実現するための技術的方法とは、また別かもしれません。

この数年間いろいろ考えていて、結果的に選挙を良くするために行える論理的な方法には、主に二つがある、ということに思い至りました。

一つは、抽選による投票者の絞り込み(標本抽出)で、もう一つは、順位付け投票です。


抽選による投票者の絞り込みとは、すなわち投票できる人を、ある選挙区で有権者の中から抽選で選ばれた数百名ないし数千名に絞り込むということです。

全ての有権者から抽選でランダムに選ぶならば、投票者数を絞り込んだとしても、全員が投票可能である場合と高い確率で同じ結果となるように統計学的に裏付けることができます。

これにより、一票の重みは限りなく重くなり、投票者は真剣に吟味して投票をすることが期待されるようになります。選ばれた人には投票を義務づけることも可能でしょう。

さらに追加で、投票者に対し、休暇を与えたり、もしくは強制的に図書館に拘束するなどして、調べたり勉強したりすることを義務づけることも可能になります。

もし社会が許すなら、選挙期間を長くして、その間は、投票者に定期的に勉強を受けさせたり、また候補者に説明を行う機会を与えたり、討論会をさせたりすることもできます。投票者は、候補者に自由に質問を行ったり、情報公開を命じたりできるようにするといいでしょう。

こうすることで、候補者は広く薄く働きかける必要が減り、資金力や動員力に頼らずとも、説得力のある主張によって当選することも可能になり、質の高い選挙を行うことができるようになります。

デメリットとしては、もし候補者による直接の説明の機会を与えるならば、買収や脅迫などが容易になったり、従来の選挙結果との差異が大きくなり社会不安を惹起する可能性があるということです。また投票者の人数を小さくしすぎると、選挙結果にばらつきが大きくなるので、適切な大きさを探す必要があります。


順位付け投票とは、投票するときに一人の候補者を選ぶのではなく、候補者のリストを提示して、それぞれに1位、2位などと順位をつけて投票する方式です。

これにより候補者が増えて票が分散してしまい、本来受かるべき候補者が落選したり、本来はAさんに投票したいのだが、当選の見込みが低いので受かりそうなBさんに投票しようなどといった事態を減らすことが期待できます。

本当に好きな候補を1位にして、次に好きな候補を2位にして、一番嫌いな候補を最下位にするというような投票行動が可能になることで、票の分散や、バンドワゴン効果を減らすことができるでしょう。

デメリットとしては、投票が面倒くさくなるので、投票率が下がったり、無効票が増加することが考えられます。その場合は、同列順位(一人が1位であとはすべて2位など)で投票できるようにすれば少し改善されます。

標本抽出で選ばれた有権者であれば、この投票法をきちんと時間を取って説明することもできますし、投票義務化もできますので、投票方法が複雑になることによるデメリットは完全に解消することができます。


このような選挙方法の変更を取り入れるだけで、選挙はよりよく民意を反映するものになるのではないかと私は考えています。皆さんはいかがお考えになるでしょうか?

2016年5月13日金曜日

表計算ソフトの正しい使い方について

弊社の皆さんへ、ExcelやGoogle Spreadsheetなどの表計算ソフトウェアを使う際に気をつけて欲しいことがあります。

最も大事なのは、表計算ソフトを使うときには、「表(テーブル)」を意識して使わなければいけません。

表とは、すなわち行(レコード)列(カラム)の組み合わせによって、情報を整理する方法です。

通常は、行に各データ(人間や取引先や資産など)を割当、列にその項目(氏名や所属や売上など)を割り当てて、その交点となるセルに該当する情報を入力します。

年齢(歳)年収(万円)
田中一郎30400
山田花子25350
上野28320

一行目は見出し、各行に一つのデータと憶えれば分かりやすいですね。

見出しを見れば、誰でもそのセルに何を入れれば良いか明確にすぐわかるようにしなければいけません。

一つのセルに複数の情報を入れてはいけません。セル内に注釈や備考をいれてはいけません。

一つの列のセルには、見出しで定められた同じ種類の情報しか入れてはいけません。そのセル内に記載出来ない情報は、備考や別のセルに記入します。

セルには、円や千やキロやメートルなどの単位を入れてはいけません。それは見出しに入れます。

他のセルから計算できる数値(合計、平均、消費税等)は、式を使って計算しなければいけません。計算した値を手入力してはいけません。

一つの表を複数に分割したり、途中で見出しを再度挿入したり、途中でセルの意味を変えたりしてはいけません、そうしたら一括で選択したり集計処理することが出来なくなるからです。

もしも表が縦に長くなり、見出しが見にくくなる場合は、見出しの行や列を固定表示して見出しはスクロールしないようにすれば良いのです。


表計算の使い道としては、情報管理、情報整理(プレゼンテーション)の二つがあります。

情報管理とは、他に元データがない情報(独自情報, オリジナルデータ, 元データ)を保存するために使うものです。これは複数人で共有・編集する必要があるので、必ずGoogle Spreadsheetのようなオンライン上の表計算を使わなければなりません。

情報管理を目的とする場合は、一つのシートに一つの表しか載せてはいけません。複数の表がシートにあると、追記や編集もしにくくなるだけでなく、プログラムによる自動処理ができなくなります。

情報整理とは、他の元データから転記した情報を整理して、計算を行ったり、見やすく整理を行ったりして、自分や他の人が情報を理解しやすいデータとして提示することです。


2016年3月24日木曜日

中国語を海外でグループレッスンで学ぶのは良くない

さて、また台湾での語学学習の話題を書きます。僕は2015年頭に台湾の師範大学で中国語を3ヶ月学んだのですが、それはいまいち良くなかったんですよね。前回の記事では、台北生活に馴染めなかった話を書いたのですが、今日は学校の話を書きます。

國立台灣師範大學の國語教學中心という語学学校は、外国語としての中国語の教育機関としては世界でも最も有名な学校の一つだと思います。日本人や韓国人だけでなく、世界中から多くの学生が学びに来ています。

ただ、その世界中の学生が来ているという点がクセモノなんですよね。

中国語には漢字というものがあるので、日本人と西洋人では学習速度が何倍も違うわけです。

私のとった初級クラスには、西洋人2名と韓国人4名と日本人2名がいたのですが、授業のペースに対して、西洋人は「あまりにも難しすぎてついていけない!」といい、僕からするとペースが遅くてなかなか先へ進まないという感じでした。

ようするに西洋人と日本人をミックスさせたクラスだと、どうしても授業の難易度が中途半端になってしまい、どちらにとってもペースが合わないという事態になってしまうんですよね。(韓国人からすると難しいけどついていけるという感じでちょうどよさそうでしたけど)

また日本人からすると、簡単な漢字の練習をさせられても完全に無意味なわけです。100%無駄な時間が発生してしまうというのは痛いところです。

というわけなので、もし海外で中国語を学ぶなら、絶対に各国混成グループレッスンはお勧めしないというお話でした。プライベートレッスンをとるか、日本人だけのクラスをとりましょう…。

2016年2月26日金曜日

海外サイトの形だけを真似た日本型クラウドソーシングの問題点

クラウドワークスを使っている受注者で、月の収入が20万円を超えたのが、わずか111名しかいなかったという発表が話題になっています。

多くの人が指摘しているように、これはユーザーがクラウドワークスを通さずに直接取引をしてしまうことによって、クラウドワークス上では多額の取引が行われないという構図になっているのだろうと思います。

なぜそういうことになるかというと、ユーザにとってクラウドワークス上で取引するメリットが全くないからなんですよね。サイト上で取引相手を見つけたら、手数料として高額な5~20%を払わずに直接取引に持ち込む方が圧倒的にお得なので、どうしてもそうなってしまいます。

さらに私も一度使ってみようとしましたが、とても概念が複雑でわかりにくく、使い方も難しいので、案件をポストしたけれど、取引には至らずにやめてしまいました。

こうした問題は、クラウドワークス(やたぶんランサーズ)が深く考えずにUpwork (旧称: oDesk)のような既存の海外クラウドソーシングサイトの形だけを真似たことが原因だと思っています。


以前、本ブログの記事でoDeskを利用して発注した体験談を書きましたが、Upworkというのは国際取引を主軸に据えたサイトなのですよ。インドやらウクライナやら、どっかの遠い国にいる、一度も会ったこともないし、永遠に会うこともないような人達と取引をするためのサイトなのです。

国際取引という性質上、Upworkには、業者が金だけ持って逃げてしまったり、発注者が金を払わないなどという事態を防ぐための機能が多数備わっています。

例えば、前払い金をUpworkが預かって、発注者のOKが出れば業者に支払をするエスクロー(第三者信託)機能や、業者がちゃんと働いていることを確認するスクリーンショット機能などがついているのです。さらに紛争が生じた場合には、商事仲裁機関による仲裁判断によって最終的な法的決着が得られるというサービスまであります。*1

なぜこういう機能が必要かと言うと、国際取引においては、もし紛争が生じたとしても裁判に訴えて決着することが容易にはできないからです。

もしウクライナの会社に金を持ち逃げされたとしても、ウクライナに行って現地の裁判所で訴訟を起こすというのは現実的ではないですよね。もし額が数億円ならともかく、数百万円なら泣き寝入りでしょう。そのために信託機能や仲裁機能がとても大事になるのです。

そのためUpworkは、システムの使い方が複雑になり、そのため使いにくく手数料が高くなってもよいので、このような多種の機能やプロジェクト管理機能を実装しているのです。機能として便利だから提供してるわけではなく、法的にどうしても必要だから実装しているのです。仲裁という紛争解決の仕組みまで備えた、法的な国際取引プラットフォームなのですよ。

だからこそ、ユーザーはUpworkを通じて支払を行うメリットがあり、Upworkを飛ばして直接取引に移行するのを躊躇するのです。

しかし日本国内での取引なら、このような機能は一切必要ありません。紛争が生じたら、実際に会って解決するなり、裁判所に訴えたり、ヤクザを雇って殴り込ませたり、すれば良いのです。

そのため日本のクラウドソーシングサイトには、Upworkのような複雑な機能は必要なく、単に受注者と発注者をつなぐマッチング機能だけあれば良かったのです。そして料金も、仲介手数料を取るのは難しいので、広告料などとして徴収すべきでした。

それなのにクラウドワークス等は、Upworkの形だけを見て、その精神を一切理解することがなく、形だけを真似てしまったので、全くおかしなことになってしまったのです。

これは日本のクラウドソーシング業界にとって不幸なことでした。これから改善されていくと良いのですが…。
  1. 仲裁 - Wikipedia

ちなみに市場の制度設計の問題に興味ある人はこの本をどうぞ。大変良い本です。こういうサイトを作る人は、単にITシステムを作っているのではなく、経済学的な市場を創っているということを忘れないようにしたいものですね。

2016年2月3日水曜日

日本人はなぜ社畜に甘んじるのか? 一人一人が戦わなければ何も変わらない。

私は日本を声高に批判する海外在住者をいつも苦々しい目で見ています。なぜなら世界中には色々な国があるが、どこにも天国などないと私は思うからです。どこの国にも一長一短があり、人によって住みやすい国や成長出来る国などは違うことでしょう。それを日本だけが劣っているようにあおり立てる海外在住者は卑劣だと苦々しく見ています。

もちろん日本にも悪い点や、直すべき点はいろいろあるでしょう。しかし政府が悪い、社会が悪いと言っていても何が変わるでしょうか? 日本に悪い点があるのなら、一人一人が直せる範囲でよくしていくしかないはずです。


世の中の人が、日本について最も不満を抱いているのは、その組織文化ではないでしょうか。とくに職場の劣悪な人間関係や労働条件などは誰もが苦痛に感じているようです。日本の労働環境を素晴らしいという人は見たことがありません。

しかし「なぜ日本の職場環境はそんなに悪いのか」「どうすれば改善出来るのか」について真剣に考えている人がいないのは不思議なことです。

私から見れば、日本の職場環境が悪い理由は自明です。

それは労働者が自分の権利を守るために全く戦おうとしないからです。

彼らはまさに「社畜」の言葉通り、従順に会社に従い、しばしば会社のために我が身を捧げて死んでいきます。それは小中高と奴隷養成学校で育てられた日本人の奴隷根性がそうさせているのです。

労働者や一般市民は、今の生活や権利を、権力者の思し召しで与えられたわけではありません。企業や政府と戦い、ときには血を流して、権利や待遇を勝ち取ってきたのです。みなが従順な社畜であったら、だれがわざわざ良い待遇を用意するでしょうか?

一人一人が、自分の持ち場で、声を上げて戦うことをせずに、なぜ政府や社会の批判ばかりするのでしょうか?

(ちなみに私は共産主義者でもなんでもなく、バリバリの資本主義者であり、経営者であり、複数の従業員を雇用している立場です。労働組合やストライキ権などは、あまりに強い権利を持ちすぎていると思います。それほどの強い権利をなぜ労働者が使わないのか、実に不思議です…)


社内で労働組合を旗揚げしろとか、共産革命に身を投じろとか、そういう無理難題を吹っ掛けるつもりはありません。各人が負担の無い方法で戦えば良いということです。

一番簡単なのは不当な待遇を受けた場合には全てそれをメモや録音などで記録しておき、会社を辞めたタイミングで、それを持って労働基準監督署に行くなり、弁護士の無料相談に行くなりすることです。もし勝訴して十分な賠償金を得られそうなら弁護士は訴訟を提案してくれることでしょう。

弁護士費用の捻出が難しい場合は、一人で加入出来る労働組合(ユニオン)に加入して、ユニオンを通じて会社と交渉したり、ユニオンを通じて労基署に訴えるという手があります。役所の常として労基署も仕事を増やしたくないので、なるべく追い返そうとするかもしれません。「ユニオン 労働組合」で検索すれば多数出てきます。(このパラグラフは2016/3/5に追記)

これを多くの人が実践すれば、会社は労働者に対して不当な扱いをすることを恐れるようになるでしょう。実際に勝訴出来るかどうかは案件によるでしょうが、未払い残業代などは証拠さえあれば勝ち取れるものと思います。さらに勝訴出来なくても労基署や弁護士が介入してくれば牽制球にはなるでしょう。

会社を辞めてから戦うなら何も怖いことはないですよね。

逆に零細企業経営者としては、めちゃくちゃ怖いんですけどね(笑)。日本では大企業以外では複雑な労働関連法規を完全に守って経営できているところはなかなかないと思うのですよ。とくに弊社の場合は、完全在宅勤務なども実施しているので、正確な労働時間の把握など、さらにややこしい点があります。


そして労働者にとって最も大事なことは、仕事のせいで精神や身体に不調を感じたらすぐに辞めるか休職するということです。

元気があり、すぐ転職できそうなら辞めればいいでしょうし、心身の不調で休養が必要であれば休職して健康保険の傷病手当金を受け取るのが良いのでしょうね。病気等で一度辞めてしまうと手当などが受けられないこともあると聞きます。(私も詳しくないので、ここはどなたか詳しい方にコメントなど頂ければと思います)

精神や身体に不調を感じているのに、それが重病になってしまうまで働き続ける日本人は本当に愚かだと強く思います。それも家族がいて、給料の良い大企業に勤めており、転職すると給与が大幅に下がってしまう人ならともかく、若くていくらでも仕事があるような人が身体を壊すまで働く理由がありません。

うつ病は、多くの人がかかる病気なのに、一度罹患すると数年間働けなくなることもざらにあり、さらには一生後遺症を残すことになったり、最悪の場合は死にも至る恐ろしい病気です。

とくにデスマになったら即座に逃亡することを強くお勧めしますね。いくら養うべき家族がいると言っても、お父さんが過労死したり、うつ病になったりするよりは退職する方がマシでしょう?

私の知人で、格闘技などをやっていて、タフさには自他共に自信があった人も、うつ病になってしまいましたからね。デスマの危険というのは恐ろしいものです。


「すぐ逃げるような奴は何をやっても駄目だ」とかいう人がいますが、私はこれまで逃げて逃げて逃げて人生を送ってきましたが、いまは事業をいくつか立ち上げて成功して、わりと悠々自適に暮らしています。

逃げていても、ちゃんと自分の進むべき道をきちんと考えて頑張って生きていれば、それで能力が無くなるとかいうことはないと思いますよ。嫌な仕事から逃げて、楽しい仕事だけ全力でやればいいんじゃないですかね…。

ただ日本人は、嫌な仕事から逃げるというと、すぐに資格勉強とかに走ったりする訳の分からない行動を取る人がいるのですが、そういうのはやめたほうがいいですね。嫌な会社や顧客などから逃避するのが大事であって、自分の人生や本業から逃避してくだらない夢物語に生きるべきではありません。


日本人はあまりに従順であることから会社に舐められています。

サービス残業は明確な犯罪です。

自分が犯罪の犠牲になって黙っていることが美徳ですか? そういう考えの人が増えれば増えるほど、会社はつけあがり、他の多くの労働者が犠牲になります。誰かが我慢して低い待遇に甘んじれば、他の人が犠牲になるのです。

もちろん日本社会自体の構造問題もあるので、一人一人が戦えることには限界もあり、戦うという手段は個人にとっての特効薬ではありません。

しかしもし大多数の日本人が戦うことを選ぶとすれば、社会は一夜にして変わるでしょう。戦わないということは、多くの人々を巻き添えにするということなのです。戦わないで社畜に甘んじるということは、社会を駄目にする許しがたい悪徳だと私は考えます。

さらに言うと、徹夜をしてでも納期に間に合わせて残業代は請求しない、そのような社畜プログラマーがいるから、この業界は良くならないし、まともな経営をしている会社に迷惑をかけていると思いますよ。

社畜プログラマーを雇って顧客の無理難題に安く応えるような会社がいれば、真面目に社員の労働環境を守ってきちんと残業代も払う会社は不利になりますよね? さらには安いIT奴隷工場があれば、パッケージやクラウドや新技術などを活用してまともに生産性向上の努力をする会社の足を引っ張る恐れすらあります。

すなわち社畜は、日本で真っ当な権利を主張する労働者達の敵であり、さらには日本でまともな経営をする会社の敵であり、日本経済の足を引っ張る非国民なのです。

社畜は日本の癌細胞であり、一日も早く撲滅せねばなりません。


追伸: あと日本の組織の人間関係を悪くしているものに日本人のコミュニケーション力不足が根底にあるかと思います。議論や指摘などがまともにできないのね。でもそれはまた別の話だし、解決は難しそう。

2016年2月2日火曜日

プログラマーとはどんな人間達なのか。怒りと寝坊と社会適応と。

(注意:本記事はほぼ個人的な観察と憶測と誇張によって成り立っています。研究などの記述がある記事へのリンクなども含んでいますが、それらはエビデンスレベルが極めて低いものも含んでおり、全てを正しい事実として扱うべきものではありません。)

プログラマーとはどんな人間なのでしょうか?

職業プログラマーの多くは、ごく普通の善良な市民であり、多くの普通の日本人と変わらない人々だと思います。たまたま就職先がソフトウェア企業だったからプログラムを仕事にしているという人々です。

本稿では、もっとややこしくて魅力的?なナチュラル・ボーン・プログラマー達の話をしたいと思います。

プログラミングにおいて高い能力を発揮する人々の一部は、しばしばちょっと変わった個性を持っています。もちろん人それぞれ違うので、一概にまとめることはできませんが、ちょっと変わった人が大勢いるのが事実です。

そのなかでもとくに目立つ個性が二つあります。それは「怒り」と「寝坊」です。


ある種のプログラマーというのは、何か知らないが常に怒っています。

日本のIT業界では、一時期「モヒカン族」や「マサカリ」などという言葉が流行りました。他人の誤りなどを見つけたら容赦なく攻撃するというような意味だったかと思います。

間違ったことを見つけると「間違っている!」と言わずにはいられないのがプログラマという生物のサガであるようです。

間違いを指摘するときは、丁寧かつ穏便な方が良いのではないかと思うのですが、そのときに強烈に怒ってキツい口調で否定してしまうような人も多くいます。

とくに複数の外国語に堪能なプログラマーというのは、なぜか知らないが、強烈なレベルにまで怒り狂っていることが多く、怒りのあまり収拾が付かないようなブログを書いてる人が3名います。

そのうち二名はかなり怖いので実名を挙げるのをためらいますが、一名は「アスペ日記」という名前のブログを書いている方です。

この方は他人が翻訳して無償で公開した文章に対して「そびえ立つクソの山だ」という評を書いて物議を醸しました。

それだけなら単なる罵詈雑言というだけの話で、何も珍しい話でもないと思うのですが、そこから先、この人がその正当化として言ったのが「これは訳という作品についての批評であり、個人攻撃ではないから何も問題はないのだ」という言葉です。

ここには、なんというか一般社会や他人の気持ちというものに対する洞察が全く欠けているなあ、と思いました。自称のようにアスペルガー症候群なのかどうかわかりませんが、かなり特異な個性を感じます。


プログラマの怒りというのは、うまく働けば社会や人生を良い方に変える場合もあるだろうと思います。また社会全体が良くなるためには、怒りを持った人々がその怒りを良い方法でぶつけていくことで、社会を改善するという作用も必要なことは間違いありません。

しかしその怒りの表出の仕方があまりに他人に受け入れられないものになると、単なる暴言どころか、下手したら訴訟沙汰や解雇沙汰にもなりかねません。

そのためにもプログラミングコミュニティは、「モヒカン」だの「マサカリ」だの言わずに、きちんと穏便な方法で怒りを表明したり、なるべく冷静かつ丁寧に間違いを指摘することを推奨するような考え方が必要なのではないでしょうか。

怒りをうまく社会をよくするために使う。

怒りをうまく自分の人生をよくするために使う。

そんなことができたら良いのになと思います。(次の記事はそんな話を書こうかと思っています)


プログラマは夜型だとよく言われます。

本格的なソフトウェア企業で、毎朝9時に全員が出社しなければならない企業など聞いたことがありません。もしそのような企業を作ったとしたら、優秀なプログラマは絶対に応募しないので、すぐに潰れてしまうのではないでしょうか。

ドワンゴという会社などは、社員が午前中に出社してくれるように午前10:30にジャージ姿の女性が弁当を配布し、一緒に体操をするという試みまでしたそうです。

10:30に出社するのが早朝出社というのがこの業界。10:30に出社すれば朝に強い人扱いです。昼や午後になって出社してくる人も決して珍しくはありません。

既に広く合意が得られた睡眠学的な観点から見ると、まず10代後半~20代くらいの若い人の多くは睡眠リズムが自然に夜型になっており、そういう人は朝早く起きると能力が著しく低下するという現象があげられます。また成人でも3割の人は遺伝的に夜型となります。

プログラマはとても集中力のいる仕事なので、私の場合は少しでも睡眠不足などで能力が低下していると全く使い物になりません。そのためプログラマには出社時間を遅らせてでも集中力を確保して仕事してもらったほうがいいのです。


しかしプログラマの一部にはそれだけでは説明出来ない夜型傾向があるように思えます。

夜型の人間というのは創造性が高く、独立心が強く、論理的であるという説があります。

さらには、発達障害の人間は、極度の夜型などの睡眠リズム障害を併発しやすいという説があります。

要するにナチュラル・ボーン・プログラマというのは脳味噌がどっかポンコツであるために、それゆえに性能が出せている生物であるということ。(中にはポンコツでないのに超高性能を発揮している卑怯な人もいますが…)

冒険的な移民の子孫である米国人は、ある種の発達障害などの遺伝子を多く持っており、それが米国の創造性や独創性などを担保しているという説があります。米国では多くのポンコツ遺伝子を持った人がおり、そのなかでポンコツ性が低くて高い才能を発揮する人が、社会の発展に貢献しているのかもしれませんね。

ポンコツ人間よ、がんばろう! 日本を変えるのはポンコツ人間しかいない!

2016年1月26日火曜日

ログイン手段再考: OAuthよりもメールアドレス認証がいいんじゃない?

最近は色んなウェブサイトでOAuthを使った登録やログインが用意されるようになってきました。

それに伴い、OAuthを使ったサイトでID/パスワードとは違う別の不便さを感じるようになってきました。


確かにID/パスワードは、認証方法としてはセキュリティ的にあまり望ましいものではありません。なぜならパスワード使い回しによって、セキュリティが弱いウェブサイトでパスワードが露呈すると、全てのウェブサイトへのアクセスが破られてしまうという恐れがあるからです。

もちろんこれはパスワードを使い回すユーザが悪いのですが、しかしユーザがどのようなパスワードを設定するかを制限しなければ、使い回したり、異常に簡単なパスワードを設定されてしまうことは防げません。

そうした問題や、またユーザ登録の面倒くささなどを防ぐためにOAuthを使ったサイトが増えているのだとは思います。


しかしOAuthにも別の問題があります。

多くのウェブサイトではOAuthのサービスプロバイダとしてGoogle, Facebook, Twitterなどをサポートしていますが、こうしたウェブサイトは単なるID認証のためにOAuthを提供しているのではなく、API連携をするためにOAuthを提供しています。

そのためOAuthでログインしたユーザは、自分が単に認証するためだけのつもりが、不用意に個人情報をウェブサイトに渡してしまうことになりかねません。

また、私が個人的に困っていることとして、ログイン手段としてGoogle, Facebook, Twitter, メールアドレスなどが用意されていると、どれで登録したかを忘れてしまう場合があることです。この場合、アカウントへのログインはほぼ絶望的になります。

私としては、もしOAuthを認証手段として使うのであれば、思い切ってサービスプロバイダの種類を一種類に限定してしまい、ログイン手段を忘れないようにすることをお勧めしたいところです。

(それでもGoogleだとAppsのアカウントとgmailのアカウントの二種類があったりするので、どちらを使ったのか忘れてしまう危険はありますが)

ちなみにこれまで使ったOAuth対応サイトの中で最悪だなと思ったのはpixivです。OAuthを使って登録を促しているのに、実際に登録しようとするとIDやパスワードなどの登録フォームが出てくるという意味不明な作りです。こんなことをするくらいなら最初からメールアドレスを入れるようにすればいいのではないでしょうか?

マーケティング上の理由などで、メールアドレス確認の手順をなくして登録途中での離脱を減らしたいなどあるのかもしれませんが、ユーザにとってプライバシーを失うだけでメリットのないようなOAuthの使い方は避けるべきではないでしょうか。


私が最近思うのは、どうせメールアドレスという情報は必要であり、かつメールアドレスにパスワードの再発行などを送るようになっているのだから、メールアドレスに認証を委ねてしまえば良いのではないかということです。

ID/パスワードなどをユーザに管理させるのではなく、ログインするときにもしパスワードが分からなければメールアドレスにメールを送って、そこのリンクからログインしてもらえば良いと。

弊社では、いまはユーザが登録したときにパスワードをこちらで自動生成して送って、それをそのまま使ってもらうようにしています。ユーザがパスワードを設定しないほうがずっと安全であると思っています。

これまでは、メールで送信すると、どうしても平文で送られることになるので、セキュリティ上の問題があるという意識を持つプログラマは多かったでしょう。しかしどっちにしろ多くのウェブサイトではメールアドレスを最終的なアカウントの確認手段として使っているので、それが脆弱であると見なして仕様を決めるのは難しいです。

さらにインターネットのメールサーバ同士の通信が盗聴されるということは現実的にはかなり低いリスクでしょう。そう考えると実質的に脆弱なのは、ユーザが危険な通信路(公衆Wifiとか)を使って、暗号化していないPOPでメールを取得するような場合だけです。しかし、いまどき大多数のユーザは、ウェブメールかPOP over SSLを使っているのではないですかね?

今後、開発するウェブシステムに関して言えば、もうパスワードなどというものを全廃してしまい、メールのリンクからのログインだけに絞りたいくらいの気持ちです。実際にはモバイルやAPIのアクセスなどもあるので、単純なログインリンクだけでは駄目ですが、そこは工夫して乗り越えたいところです。

もしセキュリティを高めるのであれば、二因子認証(スマホやSMSを使うone-time password等)を併用する方がベターでしょう。

また、むやみにセッションを失効させるウェブサイトも考え物です。ユーザにログインを促せば、それだけ利便性が下がり、離脱率が上がってしまうわけですから、セッションはデータベースの能力が許す限り長期間保持するべきでしょう。

ログイン手段については旧態依然とした考え方がまかり通るこの業界ですが、そろそろ全面的な再考が必要ではないでしょうか。色々とご意見などもらえればありがたいです。

2016年1月17日日曜日

twitter始めました。そしてブログの名前も変えました。

こんにちは、新井です。

いまさらながらtwitterを始めましたので、こちらのアカウントをもし良かったら気軽にフォローして頂けると嬉しいです。いまならたぶん全員フォロー返します。

そしてこちらのブログの名前を「日に以て親しむ-新井俊一ブログ」という名前に変更して、今後はもっと気軽な記事を増やしていこうと思います。


主要な狙いとしては、今年はもっとネット上の知人を増やしていきたいと考えています。

この10年くらい、自分の会社の仕事ばかりして、仕事していないときはひたすら海外旅行をしていたので、だいぶ社会との接点を失ってしまっていたことに気付きました。

私の最も好きな漢詩の一文に「去る者は日に以て疎く 来る者は日に以て親しむ」という言葉があります。まだまだ元気に生きているのだから、もっと多くの人と交流していこうという意気込みをもってタイトルを付けました。

仕事が忙しく、なかなか人と飲みに行ったりする時間が取れないので、ネットを活用して交流していこうと考えています。いまさらtwitterやブログを始めたからと言って、多くの人が読んでくれるかはわかりませんが、とりあえず今年一年は頑張りたいですね。


また気軽な記事を増やす理由としては、本ブログの開始時には「良質な記事だけを書いて、固定読者を増やそう」と思っていたのですが、RSSリーダーというものの衰退に伴い、ブログの固定読者というものを獲得するのが難しくなった現在では時流に合わないと思いました。

(たまに数万ページビューを稼ぐような記事を書いたとしても、それを読んでくれた人が固定読者にならない。昔だったらなったと思うのだけど。)

そこでtwitterなどを活用して気軽に思ったことを書いていく方式に改めることにしました。ただ、自分の考えを垂れ流すことになるので、あまり妄言やデタラメばかりにならないようには気をつけたいと思っています。

今後とも宜しくお願いします。

2016年1月4日月曜日

今話題のブロックチェーンとは何なんだ? 部外者の技術者として考察してみる。

一行でまとめ: 暗号通貨は面白いけど、ブロックチェーンはそれ以外には使い道がないだろうと僕は思ってるよ。暗号通貨はダメでブロックチェーンは有用という奴らは何も分かってない。


最近、IT業界を取り巻くメディア(日経BPとTechCrunch等)ではブロックチェーンなる技術が話題です。

ブロックチェーンとは、bitcoinを構成する技術であり、それ自体が金融システムを変革するものなどと言われています。しかしメディアではブロックチェーンの本質について説明しない記事が目立ちます。

現状の大きな問題として、ブロックチェーンやbitcoinについて解説する記事の多くは、bitcoin関連の仕事をしている起業家や研究者などの利害関係者による記事が多いというバイアスがあります。また技術者ではないジャーナリストが書いた記事も、技術的な本質に突っ込めていないものが目立ちます。

本記事では、bitcoinに関して利害関係を持たない一技術者として、ブロックチェーンに関して考察を試みようと思います。私はbitcoinの専門家でもなんでもないので、認識等は間違っているところも多々あるかもしれませんので、ご指摘頂ければ幸いです。

ブロックチェーンとは何を実現する技術なのか


さて、まずブロックチェーンとは何なのかですが、bitcoinを構成する技術であり、具体的にはbitcoinの取引履歴を記録した巨大な台帳ファイルのことを指します。

しかし、一般記事ではブロックチェーンという名称で、bitcoinを可能にしている分散P2Pトランザクションなどの幅広い技術を指すことが多いようですので、以下、本記事でもブロックチェーンという場合は、幅広くbitcoinの技術全般を指すことにします。

さて、そもそもブロックチェーンとは、科学的に見て何が新しいのでしょうか?

ブロックチェーンは、中央の特権サーバが決済履歴を管理することなく、さらに特殊な電子機器を用いることなく、決済(トランザクション)の二重実行防止を実現した点で画期的な技術と言えます。

電子マネーというのは、通常、支払を行うのに中央のサーバと通信して支払を指示する必要があります。なぜなら電子マネーを持っている人が、直接に他の人に支払を行った場合、その裏付けとなる電子マネーを二重に支払いに使っていないかどうか確かめる手段がないからです。(電子データは複製が自由に可能なので、二重支払が自由にできてしまう)

通常の場合は、サーバが決済データを一元管理して、同じマネーが二回支払われていれば拒否するようになっています。これが通常の電子マネーの実現方法です。要するに銀行振込と同じですね。

場合によっては、電子マネーは特殊な電子チップに格納され、支払を行うと、電子チップの中の電子マネー情報が消去されることにより、二重支払を防止する場合もあります。この場合は、電子チップが正しく製造され、第三者が改竄出来ないことを前提にしています。

この二重支払の防止を、中央サーバも特殊な電子機器もなく実現したのがブロックチェーン技術です。

(ちなみに単なる電子契約を行うのにブロックチェーンは不要です。契約書は裏付けとなる資産を保証するものではありませんから、公開鍵暗号方式を使えば普通に実現出来ます)

ブロックチェーンはどうやって二重支払防止を実現するのか


ブロックチェーンの二重支払防止技術は、基本的に多数決による認定に頼っています。多くのbitcoin参加者が取引を監視し、その結果として、二重支払がもし行われた場合であっても、取引を監視している人の採択結果により、どちらが正しい決済として認められるかが決まります。

そのさいbitcoinでは不特定多数の人が市場に参加出来ますので、多数決をする場合の投票権を持つ母集団が定められません。そのためbitcoinでは、コンピュータによる計算量を投票権として採用し、採決をした人に報酬を支払うというルールにより、多くの人が監視して正しい採決が行われるような仕組みにしています。

(IPアドレスごとに票を持たせるような仕組みでは、IPアドレスを多数持つ人が有利になってしまうので、特定の人に投票権が偏らない仕組みとして計算量を採用している)

この「計算量」により投票権が決まるという仕組みがブロックチェーンの肝といえる技術です。これは暗号学やP2P分野の研究において大きな新発明と言えるでしょう。

但しブロックチェーンの大きな弱点として、計算量によって投票する仕組みなので取引ごとに膨大な計算量が無駄にされるという点と、採決が複数回繰り返されることによって決済が確定するので、決済が確定するまでに10分以上の時間を要してしまうという点があります。

この計算量が無駄にされるという性質はかなり致命的なものです。なぜなら計算を行うにはサーバ機器代と電気代がかかるのであり、貴重なエネルギーやサーバなどの資源を無駄に浪費していることになります。これは非常に困った性質です。

ではP2Pのメリットとは何なのか


bitcoinはそれほどまでに特殊な技術を用いて、中央サーバが存在しないP2Pトランザクションを実現していますが、そのメリットはなんなのでしょうか?

じつはbitcoinは匿名性を実現するためにP2Pにしているわけではありません。取引の履歴は全て公開されており、誰でも取引の履歴を追っていくことが可能なのです。これは通常の中央サーバを用いても実現可能です。

中央サーバがないことによるメリットは、主に規制に従う義務を負わなくなるということの一点に尽きると思います。

中央サーバがある場合、その運用者は、電子マネーの運用主体であると見なされ、様々な法的義務を負うことになります。すなわち規制にがんじがらめにされ、もし何か政府とトラブルになった場合には、最悪サーバが差し押さえられる危険があるということです。

しかし中央サーバがなく、さらにソフトウェアの開発もバザール方式で行われていれば、電子マネーの運用主体が存在しないということになりますので、法的規制を受けなくなります。事実、日本でもbitcoinビジネスを行うことは2016年1月現在では法的に自由のようです。

ここがbitcoinのとても面白い点ですね。開発者は無政府主義的な思想を持っていることが伺われます。実際にTorという暗号化インターネットの中では、bitcoinを使ったアングラ通販サイトが存在し、ヘロインの塊1kgなどを通販で売っているのを目にしました。

で、ブロックチェーンは金融機関などの一般社会で使えるの?


最近では、ブロックチェーンが金融機関や一般社会での取引に使えるという説を唱える評論家が数多くいます。しかし私はそうした説に極めて懐疑的です。

まず金融機関や一般社会での取引には、中央サーバがあってはいけない、P2Pが望ましい利用場面というのが全く存在しないというのが最大の理由です。

中央サーバによる決済は、ブロックチェーンを使った決済よりも圧倒的に速く安く確実かつ簡単に実現できます。

ブロックチェーンにより、決済システムがより安く高速に実現出来るという論を唱える評論家がいますが、そういう人が技術的根拠を提示しているのを一切みたことがありません。

そもそも、単純に通貨の価値を他に移転するだけのトランザクションなど極めて低コストであり、最近のサーバ費用を考えれば、わざわざコストを下げるような必要など一切ありません。

銀行のシステムが高額なのは、極めて複雑なビジネスロジックを実現しているからであり、bitcoinのような単純な価値移転とは比べものになりません。

P2Pや分散技術というのは、基本的に極めて高度な技術を必要とするものであり、それによる性能へのオーバーヘッドも多くあります。どうしてもP2Pや分散が必要となるやむをえない理由がなければ、単一のサーバで処理するほうがずっと楽に行うことができます。

とくにP2P技術(多数の信頼出来ないコンピュータが協調するもの)は、ほぼ現実社会で使い物になる技術ではないと私は考えます。あまりに複雑すぎて構築も運用も極めて難しいだけでなく、性能へのオーバーヘッドが大きすぎるからです。

一時期はWinnyなどのP2P技術が持てはやされましたが、今でも実際に使われているものはBittorrentくらいではないでしょうか?

残念なことに大学や研究所などの研究者にとっては、複雑で実現困難な技術であるほど、自分たちの研究論文を書きやすいので、往々にしてこういう「筋の悪い」技術をあえて推奨する研究者が多くいるのです。筋が良くて簡単に実現出来る技術はいくら優れていても彼らの飯の種にはならないのですね。

でもブロックチェーンはbitcoin形式だけじゃないのでは?


※本章で主に批判している対象はこちら → ブロックチェーンの正体 | TechCrunch Japan

ブロックチェーンの本質は「分散型台帳」であり、bitcoinとは違う使い方が出来るなどという人が最近増えていますが、それは全く計算機科学について知らない素人の妄言に過ぎません。

まず第一に分散型のデータベースに関して言えば、計算機科学においてこれまでもずっと研究されてきています。

分散型トランザクションにおいても、参加者が信頼できるのであれば、quorumなどという多数決による投票のアルゴリズムが昔から存在します。AmazonのDynamoDB分散データベースのようにquorum的な多重化で故障を防ぎ性能を向上しているシステムは既に存在します。[論文]

ブロックチェーンがこうした技術について新たに付け加える点は何一つありません。


で、参加者を中途半端に信頼して、弱い計算量のブロックチェーンを導入するということを提案する人もいますが、それはセキュリティの観点から見れば愚の骨頂です。

計算量を投票に使う方法は、あくまで不特定多数の参加者が、報酬につられて膨大な計算量を投入しているからできる方法なのです。特定少数のノードが中途半端な計算量を投じても、何の保証にもなりません。誰かが不正をする気になれば、そんな計算量など一瞬で破ることが可能でしょう。

もしどうしても特定多数の100%信頼出来ないノードで投票を行うのであれば、一人一票方式の方がずっとマシなのではないでしょうか。中途半端な計算量ならその気になればいくらでも投入可能ですが、特定のちゃんと身元が割れた参加者であれば一人一票以上を手にすることはできないのですから。わざわざ計算量を投票権に使う意味は全くありません。

(それでも不正のインセンティブがあれば、LIBOR不正事件のように結託して不正を行う場合もあるでしょうから、きちんと管理された中央サーバを使う方がずっと安心だと思いますが・・・)

ブロックチェーンというのは計算機科学における一つの基礎技術を指すのであり、それを専門外の評論家や弁護士などが表面上の点だけを捉えて、間違った情報を流布するのは良くない傾向だと思います。

ITについて専門外の人が論考する自体は良いことだと私は思いますが、計算機科学について知識のない人が、科学技術上の観点について憶測で論考するのは望ましくないですね。

とくにセキュリティに関わる場合は、致命的な事故を招く場合もあるので危険です。

IT技術者が立場にとらわれずに技術的な論考を表明をすることがもっと求められているかもしれませんね。


参考リンク:
  1. ブロックチェーンをもう一段深く理解する
  2. Busting 7 Blockchain & Bitcoin Myths - Crowdfund Insider 
  3. BitCoinとBlockChainにまつわる誤解ーそんなことはできない - Qiita (2016/1/10追加)
  4. なんでもかんでもブロックチェーン?何をもってブロックチェーン?ブロックチェーンの用語の混乱を整理してみる(議論たたき台) | ビットコイン&ブロックチェーン研究所 (2016/2/15追加、大変優れた整理なのでお勧めします。私はこの整理でいうとフルコンボのブロックチェーンは面白いと捉えますが、他のものには極めて懐疑的です)
  5. ブロックチェーンという言葉に騙されないために - いもす研 (imos laboratory)  (2016/12/10追加)

この記事が広まったので補足: (2016/1/7 15:45 バンコク時間)

私はブロックチェーンやbitcoin自体を否定するつもりでこの記事を書いたわけではありません。世の中で、技術的裏付けを全く提示せずにブロックチェーンが「ゼロダウンタイムのトランザクションを低コスト」で実現する技術だとか言うようなジャーナリストなどが目立つので、それに対して疑問を呈する意味で書きました。

一般的な(bitcoinに詳しいわけではない)技術者として見ると、bitcoinやそれに関連する技術が「ゼロダウンタイムのトランザクションを低コスト」で提供するような技術とは、そもそも目的からして全くかけ離れており、そうした紹介がされることには強い違和感があります。しかし世の中の記事では、その違和感を埋めてくれるような技術的説明が全くありません。それに一石を投じたかったということです。

ただし、現時点で技術的に説明されてないとしても、ベンチャー企業などがその技術を開発中であり開発成功する可能性はありますし、そうした可能性を否定する意図は全くありません。

ましてやbitcoin関連技術やブロックチェーンが単なる分散データベース以外のもっと新しい用途で使われることを否定する意図はありませんし、そのような記述をしたつもりもありません。私の筆の滑りもあるでしょうが、その点については、慎重に読んでいただければ理解していただけると思いたいところです。